県内屈指の進学校から筑波大に進み全国制覇 プロにまったく興味のなかった渡辺正和はなぜダイエーに入団したのか (3ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

── 00年の巨人との日本シリーズでは、仁志敏久さん、清水隆行さん、高橋由伸さん、松井秀喜さん、清原和博さん、江藤智さん、二岡智宏さんといった超重量打線を相手に4試合に登板しました。

渡辺 三塁側に王貞治監督、一塁側に長嶋茂雄監督。結局2勝4敗でダイエーは敗れたのですが、第2戦で勝利投手になれたのは、ご褒美をいただいたのかなと思っています。

── それ以外、プロで印象深い思い出は何になりますか。

渡辺 プロ1年目、93年の初先発の近鉄戦ですね。9回に崩れて5失点し、目前だった初勝利をフイにしたことです。プロ入り時の根本陸夫監督はキャンプ初日の2月1日から紅白戦をやりました。04年の落合博満監督(中日)が最初だと言われていますが、それ以前からやっていました。読む本を薦められたり、私のことを気にかけてくれました。失礼ながら巷間言われる"コワモテ"とは違う一面がありました。王監督は偉大で近寄りがたい雰囲気もありましたが、「打たれてもいいが、無駄な四球はダメ。自信を持って投げなさい」とアドバイスしてくれたのが印象深いです。

後編につづく>>


渡辺正和(わたなべ・まさかず)/1966年4月12日、佐賀県出身。佐賀西から筑波大へ進学。87年秋の神宮大会で優勝し、国公立大初の全国制覇を成し遂げる。大学卒業後、東京ガスに進み、92年の都市対抗に熊谷組の補強選手として出場。同年秋、ダイエーからドラフト4位で指名され入団。1年目に先発でプロ初勝利を挙げ、2年目は中継ぎで4勝するも、95年以降はケガに苦しんだ。しかし2000年、中継ぎとして60試合に登板するなど、「勝利の方程式」のひとりとして活躍。03年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。引退後が福岡大の大学院に進み、教員免許を取得。その後、福岡大スポーツ科学部講師(バイオメカニクス専攻)に就任し、野球部の指導にも携わるようになる

著者プロフィール

  • 飯尾哲司

    飯尾哲司 (いいお・てつじ)

    静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)

フォトギャラリーを見る

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る