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篠塚和典が明かす松本匡史との決まりごと 長嶋茂雄監督の強い意向に「大変そうだった」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【足を生かすためにスイッチヒッターに転向】

――もともと右打ちだった松本さんは、足を生かすためにスイッチヒッターに転向しました。長嶋さんの意向で、1979年の伊東キャンプから取り組んだそうですね。

篠塚 挑戦した全員が成功したわけではないと思いますが、当時は「足の速い選手はスイッチにしたら面白い」といった潮流がありましたね。V9時代の柴田さんに始まり、広島の高橋慶彦さんや山崎隆造、大洋(現DeNA)の屋鋪要、阪急の松永浩美などスイッチヒッターが多かった。

 一塁ベースが近くなって足が生かせるのはもちろん、松本さんの場合は大学時代のプレー中に左肩を脱臼しているので、ミスターはそういうことも踏まえ、右腕をしっかりと使える左打ちもやらせたんだと思います。

――右打ちと左打ちでバッティングに違いは感じましたか?

篠塚 右打ちのほうが少し強くて、打球を遠くまで飛ばしそうなスイングに見えましたね。左打ちは足を生かせるように、ミスターがゴロや高いバウンドを打たせようと指導していました。外野にコンバートしたのも俊足をより生かすためだと思いますし、ミスターは当初からそういう考えを持っていたんじゃないですか。

――スイッチヒッターに挑戦するようになって、練習量も増えていましたか?

篠塚 もちろん増えていましたし、大変そうでしたよ。左が80%、右が20%ぐらいの感覚で練習していたと思います。右は少しだけ打って、左に重点を置くという感じ。左ピッチャーの時でも、右だけじゃなく左で打ったりと、いろいろなパターンで練習していました。

――松本さんのスイッチヒッター転向は、篠塚さんから見て成功したと思いますか?

篠塚 内野安打も増えましたし、成功したと思います。1983年には76個の盗塁を記録(セ・リーグ歴代最多)しましたが、右打ちのままだったら、そこまで多くの盗塁はできなかったと思います。足を生かせる左打ちをマスターして、出塁率が上がったからこその数字ですよね。

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