江川卓のボールがうらやましかったライバル・西本聖「お金で買えるなら買いたいとさえ思った」 (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 防御率では79年、84年、85年と上回っているが、勝ち星だけは一度も抜けなかった。負けず嫌いの西本は、江川が登板する試合をモニターで観戦しながら、「負けろ、負けろ」と願っていたこともあった。とにかく、勝利数で江川に勝ちたくて練習に練習を重ねた。

【20勝はしたほうがいいよ】

 1982年の初めてのグアムキャンプの際は、あまりの気温の高さに選手たちは午前中の練習であがった。それでも西本は、夕方からビーチで涼んでいるナインを尻目に、同部屋だった後輩・槙原寛己を引き連れ砂浜でランニングをする。報道陣は面白がって、涼んでいるナインの前を通ってランニングしている西本を撮影し紙面に掲載。

 それを見たリーダー格の中畑清がわざわざ西本を呼び出し、「練習するのはいいことだけど、少しはみんなと合わせろ」と忠告。それでも西本はお構いなしに走った。

 中畑以外のチームメイトのなかにも「またニシが走ってるよ」と、しかめっ面する者がいたが、江川は違った。

 江川は、個人事業主のプロである以上、全体練習が終わったらあとは何をしようが自由という考えを持っており、西本がランニングしていても「走ってるんだ」というくらいにしか思わなかった。

 西本にしてみれば、江川が休んでいてくれるほうが望ましかった。休んでいるうちに練習をして差を埋める、ライバルに勝つための常套手段である。メディアはそのライバル関係を利用し、巨人の両エースが"犬猿の仲"として好き勝手に書き立てるほど、売り上げは伸びたという。

 80年代前半の巨人戦の視聴率は連日20%を超え、観客動員、グッズの売り上げは巨人史上もっとも経済効果を上げた時期だと言われている。西本、江川のほかにも、原辰徳、中畑清、篠塚和典、松本匡史、山倉和博、定岡正二......など、オールスター級の選手が揃いに揃っていた。

 野球ではライバルとして火花を散らしていた西本と江川だが、一歩グラウンドを離れると仲のいいふたりだったということは、チームメイト以外あまり知られていない。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る