江夏豊はプロ入りした江川卓を歓迎したが「巨人に入ったということは内心ガッカリした」 (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 巨人中心の野球界に"怪物・江川"は新風を巻き起こす──そんな世界観を期待した思いがあった。

 江夏は1973年夏の甲子園、雨中での作新学院と銚子商の試合をテレビ観戦している。世間が「江川、江川」と騒がしいなか、どんなピッチャーなのかと思い、テレビで見たということだった。「噂に違わぬダイナミックなフォームから、要所要所で威力のある球を投げるなぁ」と思ったという。その日以来、江川という名前が江夏の頭の片隅に刻まれた。

【肩やヒジが痛くても投げ続けた】

 昨年、ある雑誌の企画で江夏と江川の対談をセッティングした時、一体どんなハレーションが起こるのか、スタッフ一同、戦々恐々としていた。出会った瞬間に火花が散るのかと変に期待した部分もあったが、そこはもういい大人同士。十数年ぶりの対談ということで、顔を合わせるなり思い出話に花を咲かせる。軽いウィーミングアップが終わり、肩が温まったところで対談がスタートした。

 気遣いの江川は、きちんと江夏を敬いながら話を進めていき、投球論、ON(王貞治、長嶋茂雄)に対しての攻め方、オールスターでの9者連続三振の心境などを語り合った。

 江夏はテレビでの解説を聞いてもわかるように、後輩に対しては絶対に呼び捨てせずに「くん」づけで言い、丁寧に言葉を選びながら話す。小説を読むのが趣味なだけに含蓄あるものの言い方が特徴で、後輩になればなるほど上から目線で言わないように心がける。

 それが江川の時だけは、十数年ぶりに会うというのに終始フランクに話している。超一流投手だけが通じる何かがあり、江夏は後輩の江川を認めているからこその温度感なのだと感じた。

 だからと言って、何でも言い合える先輩後輩の間柄ではない。認めているからこそ、時にわざとストレートを投げ込む場面をつくる。

 自慢のストレートで、ONを中心とした強打者を倒してきた江夏のプライドは、半世紀が過ぎようとも色褪せることがない。だから終始なごやかな対談のなかでも、バチバチと緊張する場面が演出されたのかもしれない。

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