高山郁夫が長年のコーチ生活で感じた「プロは高い技術屋の集まり。そこそこの考え方や練習では名誉と財産は勝ちとれない」 (3ページ目)
── 個性豊かな投手陣一人ひとりとコミュニケーションをとるのは、一筋縄ではいかない苦労があったのでは......と想像します。
高山 いま考えても、そこまで苦労した記憶はありません。私は基本的に否定より肯定から入っていく性格なので。いろんな選手の考え方を聞いていると、こちらが勉強になることも多く、新鮮でした。彼らの力をより引き出すため、選手との距離感さえ間違わなければ、コミュニケーション能力もコーチの大切な技術のひとつだと思います。
── 次回以降はオリックス、中日でのコーチ時代についてもお聞きしていきます。
高山 わかりました。よろしくお願いします。
(つづく)
高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した
著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。
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