江川卓と初対戦した大洋の主砲・田代富雄はあまりの速さに驚愕した「これがあの江川かぁ」 (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 そのボイヤーが田代のポテンシャルをいち早く見抜き、「絶対にクリーンアップを打てるから」と、トレードしないように首脳陣に進言したという。もしトレードが実現していたら、江川とチームメイトになり、対戦はなかったかもしれない。

「ボイヤーにはほんとに世話になった。トレードを止めるほど買ってくれたワケだから。それと入団した時に青田(昇)さんから『おまえ握力いくつだ?』と聞かれ、『80くらいです』と答えると、『長池(徳士)クラスだな』って言ってくれてね。あと、オレがドラフトされた年に近藤和彦さんが近鉄にトレードされることになって、青田さんが『今度入ってくる田代に背番号26をつけさせるから』って言ってくれたらしい。近藤さんから直接聞いたよ」

 青田は指揮官として1年しか田代と一緒にやっていない。しかも田代はずっとファームにいたため、ほとんど接点がなかったが、ずっと気にかけていたのだ。

 田代はメジャーのスターだったボイやーに愛され、巨人創成期の強打者で阪急(現・オリックス)第一次黄金期の長池らと育てた名伯楽・青田にもかわいがられた。

 チームの主砲へと成長した田代にとって、個人成績もさることながらチームの成績が一番だといつも思っていた。だが、田代の19年間の現役生活のなかでAクラスはたったの3回(79年、83年、90年)しかない。

 田代が大洋に入って初めて2位になった79年は、江川がデビューした年でもあった。

「空白の一日」により、開幕までの謹慎、開幕から2カ月の一軍登録禁止のペナルティーを受けた江川の一軍登板は、6月からだった。

 大洋戦との初対戦は、6月21日の横浜スタジアム。4回からリリーフで投げ、4イニングを1安打6奪三振。田代にとって、実際に生きた江川の球を見たのはこの時が初めてである。

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