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「野球指導者」と「撮り鉄」の二足のわらじ 盗塁王3回の屋鋪要が語るプロ野球引退後のセカンドキャリア (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

【撮り鉄にラベンダー栽培】

── 現在は「鉄道文化人」だそうですが、屋鋪さんが機関車を撮り始めたきっかけは何ですか?

屋鋪 11歳の時に蒸気機関車の魅力にはまりました。父はカメラが趣味で、私が撮影したい気持ちを父に伝えたのが始まりです。「なら、連れて行ってあげよう」ということになり、1971年の春に関西本線。夏は、父とふたりで4泊の北海道撮影旅行にも出かけ、憧れの函館本線「急行ニセコ C62重連」などを撮影できたことは、今も深く思い出に残っています。以来、「撮り鉄」です。

── 蒸気機関車の魅力は何ですか?

屋鋪 ひと言では語れませんが、とにかくカッコよくて、きれい。電車ではなく、蒸気機関車です。ただ、地方鉄道とブルートレインの撮影には行きました。

── 全601保存機の撮影を制覇したそうですね。

屋鋪 プロ野球の現役中はまったく撮りませんでした。2007年から7年2カ月をかけて、当時全国に保存されていた601輌を撮り尽くしました。全601輌を制覇したのは、私が初めてらしいです。おかげで、少年時代から憧れていた"日本初の鉄道カメラマン"の広田尚敬氏と知り合えたことはうれしかったですね。

── ラベンダー栽培もしているそうですね。

屋鋪 19年と20年に知り合いの女性の方から3株ずつ分けていただいたのが始まります。「うまく育つのかな」と自分なりに勉強しました。ラベンダーの香りで癒されますね。野球少年の育成もラベンダーの栽培も難しい分、やりがいがあります。うまく育って、花を咲かせる。相通じるものがあると思いますね。ラベンダーの花言葉は「あなたを待っています」「期待」「幸福」です。まさに、手をかけた野球少年やラベンダーの成長を期待して待ち、それが幸福につながるといったところでしょうか。


屋鋪要(やしき・かなめ)/1959年6月11日、大阪府生まれ。三田学園高(兵庫)から77年のドラフトで大洋(現・DeNA)から6位指名を受けて入団。高木豊、加藤博一とともに「スーパーカートリオ」として活躍。84年から5年連続でゴールデングラブ賞を獲得し、86年から88年まで3年連続盗塁王に輝く。94年から2年間巨人でプレーし、95年に現役引退。引退後は巨人のコーチ、解説者、野球教室など精力的に活動し、2020年から社会人軟式野球の監督を務めている。鉄道写真家としても活躍している

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