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掛布雅之が「バックスクリーン3連発」を振り返る 阪神を日本一に導いた「走塁」と「犠打」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【ビッグイニングにつながる犠打】

――貪欲に次の塁を狙う走塁意識の高さは、今の阪神と共通している部分ですね。

掛布 そうなんです。今の阪神はセ・リーグの他の5球団よりも圧倒的に走る力はありますし、大山悠輔の一塁までの全力疾走もすばらしいじゃないですか。それと、当時の阪神は豪快な打撃が注目されますが、リーグで犠打が一番多かったわけで(1985年、阪神のチーム犠打数はリーグトップの141)、その部分も今の阪神と似ていますね(2023年、阪神のチーム犠打数はリーグ2位タイの106)。

 ただ、今の阪神と当時の阪神では、同じ犠打でも犠打によって導いていく結果が違いました。よく「1試合の中で、最低でもチャンスは2、3回くる」と言われますよね。そのチャンスを確実にモノにするために犠打を使えば、最低でも2、3点は取れるわけです。

 それと、今の阪神はチーム防御率が2点台(リーグトップの2.66)。つまり、今の阪神は1試合に手堅く3点を取って勝つ野球なんです。一方で当時の阪神は、犠打で一死二塁という形を作れれば、仮にランディが倒れても僕が打てる。僕が出塁したらオカが打てる。バースが一発で決めるなんてこともありました。つまり、当時の犠打は「ビッグイニングにつながる犠打」なんです。

――強力なクリーンナップの後の6番を打っていた佐野さんの勝負強さも際立っていました。

掛布 佐野さんの存在は大きかったです。ランディや僕やオカが塁に残れば、それを返す役割をしてくれましたから。シーズン終盤は右打ちの佐野さん、左打ちの長崎慶一さんといった両ベテランを併用する形でしたが、吉田監督はそのあたりの選手の起用法がうまかった。シーズンを通じて気持ちを切らさないような起用をしていました。

 昨年、岡田監督も梅野隆太郎と坂本誠志郎という両キャッチャーを上手く起用していましたよね。長いシーズンを見据えた起用法をしていたと思いますし、梅野も坂本もモチベーションを高くキープできていたと思いますよ。

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