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鵜久森淳志は2度の戦力外通告を受け、「パソコンも使えない」「リスケもわからない」まま生命保険の営業マンに転身した (2ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

── 鵜久森さんは野球の世界を離れて、ソニー生命に入りライフプランナーになりました。それまでとまったく違う世界への転身です。

鵜久森 どういう道を選べば、自分の経験が生かせるのか、次につなげられるかを考えました。最終的には、働く環境で選ぼうと思いました。誰と一緒に働きたいかを考えて。二軍の試合でよく顔を合わせていた同い年の青松慶侑(元ロッテ)が先にソニー生命に入っていました。そういう縁もあり、選んだ仕事がライフプランナーです。はじめは「営業マンって何するの?」と思いました。「保険を売るって?」というぐらい無知でした、本当に。

【パソコンは使えず、コピーもとれない】

── 文字どおり、ゼロからのスタートですね。

鵜久森 ソニー生命は研修制度がしっかりしているので、ビジネスマナーなど基礎的なことはすべて教えてもらいました。おかげでお客さまの前に出ても苦労することはありませんでした。研修はずっと座学で1カ月、毎日が勉強でした。パソコンはまったく使えず、はじめは指1本でキーボードをタッチしていました。コピーのとり方もわからないし、FAXも送れませんでした。仕事を始めるにあたって、困ったことばかりでした。

── ほかに戸惑ったことは?

鵜久森 お客さまに「リスケお願いします」と言われても、その意味がわからない。「なに、それ?」と思って(笑)。知ったかぶりをすると大変なことになるので、わからないことはわからないと言うようにしていました。聞き慣れない言葉があったら全部メモして、あとで調べるようにしました。

── 鵜久森さんがプロ野球選手だったことに気づく人はいましたか。

鵜久森 自分からアピールすることはありません。ただ、背が高いので「何かスポーツをしていたんですか」と聞かれることが多くて、その時には正直に答えます。だけど、僕のなかで、自分はもう野球選手ではありません。ただの、体の大きい36歳です(笑)。

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