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「ドラフト史上最高の豊作」年に入団→「プロ野球史上初」を達成 名投手・野村収が語るライバルとの対戦秘話 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Kyodo News

── 大洋時代の一番の思い出は何ですか?

野村 私はかねてから長嶋茂雄さんのファンでした。立教大時代に東京六大学リーグ新記録の8本塁打を打ったのをラジオで聴いていました。長嶋さんのことで覚えているのは、テレビ観戦しているとカウント3ボール1ストライクのバッティングカウントなのに難しい球に手を出してゲッツーになる。長嶋さんは純粋な方で、バッティングカウントになると「さあいくぞ」という気持ちが強くなって、難しい球でもスイングしてしまうということが次第にわかってきました。だから、「実際に長嶋さんに投げてみたい」と強く思うようになり、「プロになれば対戦できるぞ」という思いでした。

── 実際に対戦した時のことは覚えていますか。

野村 それがいざ対戦となると、そんなことを考える余裕はなかったですね。とにかく投げることに必死で。ただ対戦の時は、長嶋さんに敬意を表し、球審にボールを交換してもらってニューボールで勝負を挑んだものです。それを長嶋さんも気づいてくれたみたいですね。あの天下のON(王貞治、長嶋茂雄)と真っ向勝負ができるのは幸せでした。だから、敬遠の指示が出ると嫌でしたね。いま思うと、ONと対戦できたいい時代に野球をやれていたと思いますね。

【同期入団の名投手との投げ合い】

── 江藤慎一さんとのトレードでロッテに移籍しましたが、その時の心境はいかがでしたか。

野村 私は何球団か移籍したのですが、前にいた球団との比較はしないと誓いました。だから、そう聞かれた時は「今が一番いいよ」と答えていました。ロッテ在籍はプロ4年目、5年目でしたが、当時のパ・リーグは同期の山田久志、東尾修がエース格になっていて、彼らと投げ合ったのが思い出に残っています。

── 山田さん、東尾さんはどんな投手でしたか。

野村 ふたりともコントロールがよかったですね。山田はアンダースローながら技巧派ではなく、ストレートでグイグイ押す本格派でした。東尾はシュートとスライダーのコンビネーションで勝負する投手でした。東尾は、当時監督だった稲尾和久さんの影響を受けていたのでしょう。稲尾さんは「自分はスライダー投手と言われるが、その直前にシュートを投げるからスライダーが生きるんだ」と言っていましたが、東尾も同じです。ただ、彼の一番の武器は"コントロール"と"打者に向かっていく闘志"だったと思います。

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