門田博光が回想する村田兆治とのマンガの世界のような真剣勝負。「フォークの握りを見せてから放ってくることもあった」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 今回の一件に際し、村田の近況を伝えた報道からも孤独感が伝わり、そうした記事を目にするたび門田の今と重なってきた。

 ともに生粋の職人気質。「村田さんと同じ匂いがします」と向けると、「そらそうや、2つ歳が違えば口もきけない、チームメイトでも敵だらけという時代のプロの世界で突き抜けてきた者同志や」と返ってきた。

 己の技術をひたすら磨き、頂点を極めた、まさに頑固一徹。しかし、プレーのイメージとは裏腹に、繊細な神経の持ち主であるレジェンドたち。ユニフォームを脱いだ瞬間からその一徹さが時に仇となり、生きづらさとなってついて回ったことは容易に想像がつく。

「年代もほぼ同じの野球バカや。今の選手みたいに"バラエティ"はできんかったんや。オレも兆治も真面目の真面目。言い換えれば、融通が効かん。『もうちょっと柳の木みたいに曲がりなさいよ。揺れたらラクですよ』って言われてきたけど、できんのや。兆治に比べたらまだオレのほうがユニフォームを脱いだあと、少しコメディになれたやろうけど、彼はいくつになっても『140キロを投げる』ってマサカリをやっとったんやからな。中身は大エース・村田兆治のまんまやったんやないか」

 報道では、かつて夫人が村田を評して使ったという「昭和生まれの明治男」のフレーズなども用いられ、頑固さ、厳格さが伝えられた。そんないくつかの記事のコピーを渡すと、門田は首をひねりながらこう語った。

「こんなもんみんな一緒やないか。(山田)久志も(鈴木)啓示も、みんな負けず嫌いの塊で、誰よりもプライドが高くて、誰よりも繊細。そうやなかったら、あの時代のプロの世界で200勝は当たり前というレベルでやれるかいな。みんな『オレが一番』『オレが大将や』と言うとったヤツばかりや。まあ、こんなこと今の人になんぼ言うてもわからんやろうけど」

プライドをかけた真剣勝負

 ここからしばらく同世代を生きたエースたちとの話題が続いた。すると、そのなかで門田は村田とほとんど会話らしい会話をしたことがないという話になった。こっちが驚いた反応を見せると、逆に「なんでや?」と不思議そうな顔で返してきた。

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