高木豊が語る古葉竹識が「名将」たる所以と、広島時代からの「チーム古葉」のすごさ
野球人生を変えた名将の言動(4)
高木豊が語る古葉竹識 後編
(前編:大洋の監督になった古葉竹識に「残念」と感じた理由>>)
1987年、3年連続でBクラスに低迷していた大洋の監督に就任した古葉竹識。当時、大洋で主力として活躍していた高木豊氏は、古葉氏を取り巻く"チーム古葉"のすごさが印象的だったという。そんな周囲の人間たちのエピソード、監督として大切にしていたことなどを高木氏に聞いた。
広島の監督時代にチームを3度の日本一に導いた古葉(中央)この記事に関連する写真を見る***
――古葉さんは、小林正之さんや寺岡孝さんなど、広島時代のコーチ陣を大洋に引き連れてきました。
高木 そうですね。古葉さんの周りにいた人たちの印象は強かったですね。なかでも、広島時代から古葉さんのマネージャーをやられていた雑賀幸男さんには、ものすごくよくしてもらいました。
――たとえば、どんなことですか?
高木 大阪で行なう予定だったオープン戦が雨で中止になった時、やることがなかったので、「雑賀さん、何か暇つぶしできるようなことはないですか?」と聞いたら、「相撲でも見に行くか?」と言われて。ちょうど大阪場所が行なわれていて、雑賀さんはチケットをすぐ手配してくれた。相談すれば何でも叶えてくれるという存在でした。
――広島時代からの"チーム古葉"といえば、名スカウトと言われた木庭教さんも大洋に来ましたね。
高木 木庭さんがスカウティングする選手は、ひと味違いました。そのおかげで権藤博さんが横浜の監督に就任した1998年に優勝するのですが、それは全部、木庭さんがスカウティングした選手たちなんです。
野村弘樹、石井琢朗、谷繁元信、進藤達哉らがそうですが、1998年に優勝したチームの中心選手たちですよね。そういう意味では、古葉さんの人脈というか、古葉さんをサポートしている人たちのすごさを感じました。
古葉さんに、「広島時代に何度も優勝できたことを誰に感謝しますか?」って聞いたことがあるんです。山本浩二さんや衣笠祥雄さんかな、と思っていたんですが、「スカウトだな」と。木庭さんを中心としたスカウト陣は、「常にチームの足りない部分を補う選手を探してきてくれた」と言っていました。
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