イチローより上位で指名された元野手も。中日・根尾昂の転向で思い出す、野手→投手に挑んだ男たち

  • 白鳥純一●文 text by Shiratori Junichi
  • photo by Sankei Visual

 日本野球機構(NPB)は交流戦を終えた6月21日、野手ながら2試合に登板して無失点に抑えていた中日・根尾昂選手の登録を、外野手から投手に変更することを発表した。

投手転向後、好投を続ける根尾投手転向後、好投を続ける根尾この記事に関連する写真を見る 大阪桐蔭時代の根尾は投手や遊撃手として2度のセンバツ優勝、甲子園の春夏連覇にも貢献。2018年のドラフト会議で4球団競合の末に中日に入団し、内野手としてプロ選手のキャリアをスタートさせた。だが、安定した守備を見せる一方で打撃面では課題が残り、プロ4年間で111試合に出場、打率.172、本塁打はわずか1本だった。

 今季からチームを指揮する立浪和義監督は、守備の負担を軽減し、打撃力強化を目指す狙いで外野へコンバート。しかし開幕後の4月には外野手が充実しているチーム事情などから、遊撃手への再復帰も示唆されていただけに、投手への転向は野球ファンを驚かせた。

「投手のほうが彼の能力が生きる。代打で出ることもあるが、基本は投手でやる」と"投手・根尾"に期待を寄せる立浪監督。根尾もその思いに応えるように、ここまで安定した投球を続けている。

 過去に野手から投手に転向した選手は少ないが、それに挑んだ男たちはどんな成績を残したのか。転向の経緯と共に振り返る。

【野手を経てサイドスローとして開花した"松井キラー"】

 阪神が日本一になった1985年に、清原和博(当時 PL学園)の外れ1位として入団した遠山奨志(当時:昭治)は、1年目に8勝を挙げるなど活躍。だが、その後は左肩の故障などで伸び悩み、1990年には高橋慶彦との交換トレードでロッテに移籍する。

 ロッテでも思うようなピッチングができなかった遠山は、1995年に外野手に転向して再スタートを切ることになった。翌年には、イースタン・リーグで最多安打のタイトルを獲得するなど野手としての可能性を見せたが、1997年は1軍での出場機会がなく、この年限りで戦力外通告を受けた。

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