秋山幸二、石毛宏典らの移籍から始まったダイエー再建。石毛は選手会長だった藤本博史に「試合後のミーティング」を提案した (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――秋山さんを皮切りに、石毛さん、工藤さんといった西武の黄金時代の主力メンバーが加入した影響は大きかった?

石毛 それだけではないと思います。先ほども言ったように、やはり選手たちの「優勝したい」という思いが強く、世界の王さんを監督に迎えたことで、そうした気持ちがさらに大きくなったんでしょう。

 王さんが監督に就任して5年目(1999年)の時だったと思います。私はその場にいなかったので定かではありませんが、根本さんが「お前ら、何も"世界の王"だからって、垣根を作ることはねぇぞ。お前らの監督じゃねぇか」みたいな話を選手たちにしたらしいんです。そういった王さんを身近に感じることのできる話をきっかけに、一枚岩になっていったのでしょう。同年のダイエーは優勝しましたが、チームの一体感を生み出す上では根本さんの言葉も大きかったと思います。

――秋山さんの背中を小久保さんが見て育ったとのことですが、小久保さんは尊敬する野球人のひとりとして、秋山さんの名前を挙げていますね。

石毛 練習に取り組む秋山の姿勢には学ぶものがあったと思いますし、ダイエーというチームの意識を変えていく意味で好影響を与えたことは間違いありません。秋山は監督としてもチームをけん引しますが、秋山の現役引退後もソフトバンクを支える選手たちがたくさん育っていったことが、それを証明していると思います。

(2人目:清原和博 清原は本当に「甘やかされていた」のか>>)

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