斎藤佑樹がついに手にした早実の背番号1。だが「なぜこのタイミングで...」と困惑した (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 1年の秋の大会、僕は背番号11で、1つ上の高屋敷(仁)さんが1番でした。ブロック予選(秋季東京都大会一次予選)では僕が先発を任せてもらって、初戦の明大中野(9−4)、プロ注目の選手もいて強いと言われていた武蔵工大付(12−1)にも勝ちました。僕は5回くらいまで投げて高屋敷さんや同級生のアンダースロー・佐藤(成朗)さんに交代、早実は継投で勝ち上がってブロック決勝を迎えます。

 相手は日大鶴ヶ丘、僕はその試合も先発しました。細かい内容は覚えていないんですが、覚えているのは日鶴で投げていたのが同学年の仁平(昌人/のちに立大、ワイテックなど)だったこと。あとは南大沢の早実のグラウンドでの試合なのに日鶴のチアが来ていたこと(笑)。スタンドもないのになんでチアの応援団が来ているんだろうって、マウンドで彼女たちを見ながら不思議に思ったことを覚えています。

 試合の内容はほとんど記憶にないのですが、記録を見ると初回に先制されていますね(センターへタイムリーツーベースを打たれる)。すぐに逆転したもののまた逆転されて......僕はこの日も(5回途中で)交代して、その後も追いつ追われつの展開になりましたが、最後は負け(5−7)。1年の夏は西東京大会の2試合目で負けて、秋もブロック予選で負けて、センバツ出場が早々に絶望となりました。

 高校で行ける5度の甲子園のうち、2度のチャンスが終わってしまいましたが、あまり焦りはありませんでした。ただ、高校に入ってすぐの頃、周りから「行ける、行ける」と言われていた甲子園にはやっぱり簡単には行けないんだなとは思いました。

2年夏に背番号1

 1年の冬はグラウンドの裏にある坂道をダッシュしていたことが記憶に残っています。当時はそれが早実のピッチャー練習の名物みたいになっていて、先頭で走るのは決まって高屋敷さん。1年生は後ろから高屋敷さんについていくんですけど、僕と白川(英聖)が歌を歌いながら走っていたんです。ゆず、HY、あとはサスケの『青いベンチ』とか......そうしたら高屋敷さんに厳しく注意されました(苦笑)。僕らは「こんなにキツい練習をするのなら、歌でも歌いながら楽しくやったほうがいいじゃん」と思っていたんですけどね(笑)。

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