青柳晃洋、大島洋平、北山亘基...躍動するドラフト5位以下の選手たち。攝津正が語る「成り上がりの秘訣」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Koike Yoshihiro

攝津正が語る下位指名のリアル

 ここで2008年のドラフトでソフトバンクから5位で指名を受け、リリーフとして活躍したのち先発に転向し、最多勝、沢村賞を獲得するなど、球界を代表する投手へ上り詰めた攝津正氏に、下位指名選手がプロで生き抜く方法を聞いた。

── 高校、社会人野球を経て27歳でのプロ入り。安定した企業(JR東日本東北)から勝負をかけることに迷いはなかったですか。

「正直、あまりドラフトにかかりたくなかったですね(笑)。そのまま企業で働いていたほうが安定しているかなと。迷いましたが、最終的に日本野球のトップレベルに挑戦してみたい気持ちがまさりました」

── 当時のソフトバンクは、和田毅投手、杉内俊哉投手、大隣憲司投手など左投手は充実していましたが、右投手ならチャンスがあると考えたのでしょうか。

「チーム状況まではわからなかったのですが、担当スカウトから『中継ぎで』という話はいただきました」

── 入団当初、ドラフト上位選手との身体能力の差、チャンスの少なさを感じたことはありましたか。

「ドラフト1位(巽真悟/近畿大)のブルペン投球終了と同時に取材陣は引き上げ、シーンと静寂感が漂っていましたね(笑)。正直、注目されていないなと感じました。自分の場合、結果を残さないとすぐファームに落とされると感じていました。オープン戦、いろんな場面で投げさせられましたが、一度もミスは許されないという感覚でした」

── しかし、シンカーを武器に奪三振率も高く、制球力も抜群でした。入団して2年連続70試合登板を果たし、最優秀中継ぎのタイトル獲得。中継ぎから先発に回り、沢村賞受賞。当初はどういう形で、プロで生きていこうと考えていたのですか。

「コントロールが自分のセールスポイントだったので、カーブを含めた落ちるボールと緩急を生かした投球スタイルを考えました。運もありましたが、早いうちにチャンスをつかめたのが大きかったと思います。ドラフト上位の投手は失敗してもチャンスをもらっていましたが、下位で入った投手は結果を残さないと消えていく。自分もそうならないよう、常に崖っぷちの危機感を抱きながら臨んだのがよかったのかもしれないですね」

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