2022.04.22

又吉克樹「てめえら、独立上がりの球を打てるのかよ」。独立リーグ出身としてのプライドと恩返しの思い

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Koike Yoshihiro

連載『なんで私がプロ野球選手に?』
第8回 又吉克樹・後編

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 異色の経歴を辿った野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第8回後編は、最速117キロだった高校時代から一転、球速が30キロ以上も上がる驚異の5年間を振り返る。

独立リーグ出身者初のFA権行使で中日からソフトバンクに移籍した又吉克樹独立リーグ出身者初のFA権行使で中日からソフトバンクに移籍した又吉克樹 この記事に関連する写真を見る

運命を決定づける出会い

「サイドスローがあったから、僕は人生が変わった」

 又吉克樹はそう言いきる。運命を決定づける出会いがあったのは、大学入学間もない頃だった。

 春のリーグ戦中の5月。環太平洋大学監督の田村忠義は「サイドで放れるヤツおるか?」と部員たちに聞いて回った。戦力としてあてにしていたサイドスローの投手が故障し、欠員が出たのだ。

 手を挙げたのは、入学して間もない又吉だった。田村は「やってみいや」と促し、投球練習を見守った。光るものは感じたが、「まだ大事な試合で使えるレベルやないな」という評価を下した。

 田村は現役時代、社会人野球の日本鋼管福山で活躍したアンダースローだった。1974年には太平洋(現・西武)からドラフト1位、翌1975年にはヤクルトからドラフト2位で指名を受けながら、拒否してアマチュアでプレーし続けた。そんな田村の目に、又吉はこのように映った。

「右の腰は横に回っているのに腕はスリークオーター気味で、下半身と上半身の動きが噛み合ってない。右腕を少し下げてスイングできれば、軸がブレずにうまく回るはずや」

 田村からのアドバイスを受け、又吉はサイドスローとしての基礎を一から固めていった。田村は「ボールを3本の指(親指、人差し指、中指)で潰せ」と指示した。言われたとおりにやってみると、又吉は自分のボールに大きな変化を感じるようになった。

「今まで一生懸命に投げていた40メートルの距離でも、えらい軽く腕が抜けるようになって。腕はポーンと抜けるのに、ボールはヒューッと伸びて落ちてこない感じでした」

 球速がみるみる上がっていき、やがて又吉は公式戦でも起用されるようになる。田村は又吉の潜在能力に目を見張るようになる。