斎藤佑樹が金城長靖に伝えたかったこと。「あの夏の甲子園」「アメリカ遠征」「沖縄の高校野球熱」...仲良し同級生対談 (2ページ目)

  • 市川光治●文 text by Ichikawa Mitsuharu
  • photo by Hosono Shinji

斎藤 ああ、いいね。この先、たとえばコーチになったり、監督になったりということがきっとあると思うんだけど、まずは都市対抗に出るという目標があって、その次の目標も出てくるでしょ。僕ら、もうおじさんの年だし、そこはどんな目標があったりする?

金城 何年か前から『引退』という言葉が浮かんできて、もっと野球を勉強しようと。今さらだけど(笑)。それをやることで、自分のなかで「この選手、ちょっと教えてみたいな」とか、指導者になりたいという気持ちがどんどん出てきて。現役が終わったあとのことを考えた時に、僕は何かしら指導したいと思っているし、少なくとも野球に携わりたいと思ってる。

これからの使命

斎藤 沖縄の野球界に対して、これからどんなことをしていきたいと考えてる? 沖縄の野球を変えたいという思いはある?

金城 沖縄の野球というより、いま日本中で野球人口が少なくなってるから、子どもたちにどう野球の楽しさを伝えられるかを考えてる。上のレベルには、こういう世界が待ってるよと伝えていく。甲子園に出た以上、そういう役目もあるのかなと思ってる。

斎藤 甲子園......そうだよね。あの年、センバツに八重山商工も早実も出ていて、「また夏も(八重山商工と)一緒に来たな」っていう連帯感みたいなのを勝手に感じていた。いわゆる仲間じゃないけど、甲子園でちょっと旋風巻き起こしてやろうぜって......なんかちょっと思ってたわけ。そんな思いってどう? なかった?

金城 早稲田実業は、あれよあれよという感じだったじゃん。ポンポン勝っていって、「すげえ、すげえ、すげえ」みたいな。ましてや斎藤は、ホームランまで打ったりして。僕らは何だろう......甲子園って目指していたところだし、春は「おお、すごいな。広いな」みたいな感じで入って。でも夏はどうかな......旋風っていうよりも、「あとどれくらい仲間と野球できるんだろう」みたいな感じだった。甲子園が終わったら、みんなバラバラになっちゃうから、思い出づくりをどれだけできるかみたいな。

斎藤 そうか、そうだよね。じゃあ、終わったら寂しかった?

金城 あの時は「あ、終わった!」みたいな(笑)。

斎藤 何、それ(笑)。

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