星野仙一からの通達に「なぜ自分が......」。山本昌が語る転機と新ボール取得秘話 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

【アメリカ留学させる若手の基準】

――選手を長期間預けるくらい、星野さんとアイク生原さんの間には信頼関係があった?

山本 もともと、ドジャースと交流があったのは巨人だったんです。川上(哲治)さんが監督をされている時に、フロリダのベロビーチでキャンプを張ったりしていましたし。いわば、"巨人の聖域"に中日が入っていったことになるんですが、そこが星野さんの"政治力"です。

 ドジャースのピーター・オマリー会長に最初に会った時に、(キャンプへの参加を)頼むことができたというところもすごい。当時の星野さんは40歳ぐらいでしたが、その歳でそんなことができる人はなかなかいません。そんな星野さんに「面倒を見てほしい」と頼まれて、アイクさんはプロ野球選手を託された。先ほども言ったように、僕はふて腐れていた時期もありましたが、そんなことはお構いなしにいろんなことを教えてくれました。

山本昌を育てたアイク生原山本昌を育てたアイク生原この記事に関連する写真を見る――ちなみに、山﨑武司さんも中日に入団して1年目、アイク生原さんの指導を受けられているそうですが、若手の育成をアイク生原さんに託すという流れがあったのですか?

山本 僕は、「若手の育成」という受け取り方ではなく、「1軍の戦力にならない選手を送っている」と見ていました。今思えば、期待してない選手は送らなかったでしょうけどね。「1軍では無理だけど、伸びないかな~」という選手を託していたんでしょう。

 山﨑に関してはルーキーだったので、「ちょっと厳しいところへ行ってこい」という意味だったと思うんですけど、5年目だった自分の場合は「何かが変わらないかな?」と思われていた気がします。ダメならすぐにクビだったと思いますから、本当にギリギリでした。

――星野さんの若手への期待は、思いきった起用にも表われているように感じます。高卒1年目の立浪和義(現中日監督)さんを遊撃のレギュラーで起用したり、同じく高卒1年目の投手・近藤真市さんを先発起用したことも印象的です。しかも、近藤投手はプロ野球史上初となる、初登板でのノーヒットノーランという偉業も達成しました。

山本 真市は初登板の前の日まで、僕と一緒に2軍の試合でスコアラーをしていたんです。試合が終わったら彼が呼ばれて、「明日から一軍に行け」と。そうしたらいきなり先発して、しかもノーヒットノーラン。「昨日まで一緒にスコアをつけていたのに......」と思いましたし、歳が近くて同じ左ピッチャーということもあって心中穏やかではありませんでした。僕は肘を壊していて投げられなかったし、「ああ、これで終わったな」というのが正直な気持ちでしたね。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る