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五十嵐亮太から直電で引退報告。元ヤクルト二軍監督の八重樫幸雄が明かす「ロケットボーイズ」誕生秘話 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【決して手を抜かず、常に全力だった】

――それを聞いて、八重樫さんはなんと返事をしたんですか?

八重樫 まだまだ彼は若いし、自発的に走っているのに「疲れるからやめろ」というのはとんでもない理由だと思ったから、「そんな言葉は気にしないで、自分が走りたいのなら走ればいいじゃないか」と言いました。

――五十嵐さんとしては、その言葉に救われるとは思いますけど、そこでまたランニングを再開したら先輩の言葉を無視したことになるから、板挟みになりますよね。

八重樫 いや、亮太に「やめろ」と言ったのは先輩じゃなくて、あるコーチなんです。だから、僕も「そんなことは気にしなくていいから走れ」と言いました。もし、そのコーチがまた何か言ってきたら、そのときは僕の口からハッキリ伝えようと思っていました。それで、その日から亮太は再び夜中のランニングを始めたんです。結局そのコーチも、その後は何も言わなかったので僕の出る幕はなかったんですけどね。

――五十嵐さんの練習熱心で、純粋な性格がよく伝わるエピソードですね。

八重樫 この一件に限らず、彼は本当に練習熱心だった。決して手を抜かない。野球が本当に大好きで、「もっとうまくなりたい」という思いが人一倍強かったですね。それは入団当時から際立っていました。

――そうした努力の賜物なのか、若松勉監督が誕生した1999(平成11)年、プロ2年目の五十嵐さんはいきなり一軍でブレイクを果たしました。

八重樫 若松さんが監督となるのと同時に、僕も一軍のチーフ兼打撃コーチになりました。そのタイミングで、小谷正勝さんも一軍投手コーチになったんです。それが亮太にとってもよかったんじゃないかな。

――前回のお話でもあったように、五十嵐さんはプロ入り以来ずっと、小谷さんの指導の下で着々と成果を残していましたからね。

八重樫 当初は「球種を増やして先発ローテーションの一角を」という思いもあったけど、「亮太の場合はストレートを軸に、短いイニングを全力で投げたほうがいい」と判断したのも小谷さんだったし、若松さんも同じ考えだったから、亮太にとっては活躍しやすい環境が整っていたと思いますね。

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