長嶋茂雄の引退試合で「打ち取ってしまった」佐藤政夫のタコ踊り投法 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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「本場の野球を経験できた、というんじゃないんです。大変なとこに来たな、っていう思いだけですよ。アメリカでも小さな町だから食事も日本食なんかないし、早く帰りてえなあって、ホームシックにもなったしね」

 もっとも、そんな苦労も野球自体への影響は少なかったようだ。ローダイでの佐藤さんの成績は29試合に登板して3勝2敗2セーブながら、9試合に先発して完封が2試合ある。防御率は92回を投げて3.23だった。

「もうちょっとできたかな、と思うんだけど、まあ、気楽な気持ちだし、そんなに必死じゃないから。そりゃ、必死な気持ちでやったほうがよかったかもわかりません。でも野球留学だから、そこでいいピッチングしたからってメジャーに上がれるわけもないし」

 上がれてしまえたのが、[日本人初の大リーガー]村上雅則(元・南海ほか)だ。64年、やはり野球留学で来て1Aでプレーし、結果を残して一気にメジャーに昇格した。同じ左腕でもあり、可能性はゼロではなかったと思いたい。 

「ただ、私はロッテでメジャーのキャンプに行ったことあるからわかったんだけど、メジャーとマイナー、天国と地獄みたいに差がある。待遇がまったく違う。だから向こうの連中はメジャーというものに対してものすごく必死なの。

 その点、日本の二軍はね、はっきり言って甘いし、恵まれてる。向こうはちょっとしたケガでも大丈夫だって試合に出るし。そういうハングリー精神だけは覚えて帰ってきた。で、帰ってきたら監督が金田さんに替わったんだけど、今度は1年じゃないですよ。6月に中日にトレードですから」

 本当に「波乱」が続く。73年の佐藤さんは金田正一監督のもと、「走らされる量も食べさせられる量もとんでもない」キャンプを経たが、ロッテでは1試合に登板しただけで、シーズン途中の6月に中日に移籍する。

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