ヤクルト復帰もつらそうだった岩村明憲。「その気持ちはわかるけど...」八重樫幸雄が送ったアドバイスとは? (3ページ目)
【球団社長として奮闘する日々は必ず今後の役に立つ】
――渡米前後で、何か変化はありましたか?
八重樫 故障の影響もあって、渡米前の実力は失われていた気がします。体も大きくなったことで若い頃のようなキレもなかったし、チームの若返りの問題もあって、なかなか出番にも恵まれなかった。ファームから一軍に呼ばれても、なかなか試合に出られない。その点に関しては不満もあったと思うし、実際に彼の口からそんなことを聞いたことがあって、「その気持ちはよくわかるけど、監督批判になってしまうから絶対にそれは口にするなよ」と言ったことがありました。この頃の彼はつらそうでしたね。でも、むしろ引退後にガンとはよく会うようになったんですよ。
――2014年シーズン限りでヤクルトを退団すると、翌年からは独立リーグの福島ホープス(現・レッドホープス)の選手兼任監督となりましたね。
八重樫 僕はその頃、東北担当のスカウトだったから、ホープスの試合も時間を作って見に行っていたんです。あの頃の若いメンバーと、まだ現役を続けながら若手を指導する岩村との間には、大きなレベルの差がありました。岩村の求めることに選手たちがついてこられない。そんな印象があった気がするな......。地区チャンピオンシップに進出する手腕はあるんだけど、あと一歩、届かないもどかしさはありましたね。
――その後、岩村さんは監督を兼務しつつ、代表取締役社長にも就任。八面六臂の活躍でチームを盛り立てようと奮闘しています。
八重樫 レッドホープスはすべて岩村にかかっていると言ってもいいんじゃないのかな? 球団編成だけではなく、自ら広告塔になってスポンサー集めをしていましたからね。岩村が主催するゴルフコンペに2回ほど出させてもらったことがあるんだけど、すごかったですよ。集まったスポンサーは全国からでしたから。きっと、岩村の人脈で集めたんだと思うけど、「よく頑張ってるな」と感じました。
――今後の岩村さんに期待すること、望むことはありますか?
八重樫 彼はまだ42歳ですよね。まだまだ老け込む年じゃないし、まだまだ体も動く年齢なんだから、ぜひ指導者としてNPBに復帰してほしいな。現在の経験は必ず生きてくると思うし、これから必死に指導者としての勉強を積んで、ぜひもう一度ユニフォームを着てほしい。本人にもこのことは言ったことはあるけど、中西さんもそれを望んでいましたよ。これから彼がどんな野球人生を歩むのか、陰ながら応援したいと思っています。
(第95回につづく>>)
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