西武監督の広岡達朗から「練習に参加しなくていい」。代わりに石毛宏典は木刀と道着を持って新宿に通った (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

当時を振り返った石毛氏 photo by Murakami Shogo当時を振り返った石毛氏 photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る――合気道が野球の技術などに活かされたという実感はありますか?

石毛 ありますね。野球だけでなく日々の生活にも活かされていると思います。今でもそうですけど、疲れてくると猫背になったり、バランスが崩れた姿勢になったりしますけど、氣を静めながら歩いてみたり、先生から当時教えていただいたことを思い出して実践することがあります。

――広岡さんは厳しい印象がありますが、かけられた言葉で印象的なものはありますか?

石毛 「下手くそ」と言われたりもしましたが、そのあとで「上手くなったな」と言われることもありました。"いいものはいい"と認めてくれて言葉をかけてくれましたね。厳しさはありましたけど。

 昔のパ・リーグは前期・後期があったり、土日はダブルヘッダーもありましたし、日程が詰まるわけです。自分はレギュラーでずっと試合に出ていたので疲労性の腰痛を起こしてしまい、腰が曲がらない状態になったんです。それで広岡さんに「監督、すいません。腰が痛くて試合に出られません」と伝えると「何!? いいよ、もう帰れ!」と言われるわけです。

 でも、登録抹消はされなかったので、1週間くらい治療に専念して急いで治して、「監督、今日は試合に出られます!」と伝えると、「試合に使う、使わないはオレが決めることだ。お前がぐずぐず言うことじゃない」と言われたりして......(笑)。確かにそうなんですけど、ちょっと冷たくないか?と思うことはありましたね。

――厳しさの部分が際立つお話のように感じますが......。

石毛 広岡さんは、野村(克也)さんみたいに本になるような、記憶に残るような言葉はなかったかもしれません。野球人として、技術を使うスポーツとしての体の作り方や技術の高め方、野球観といったことをしつこく訓練され、頭と体にたたき込まれました。西武が黄金時代を築けたのは、広岡さんがそういった礎を作ってくれたおかげだと思っています。

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