投球が「怪物」だった甲子園のアイドル。ドラ1でヤクルト入団後、ある悲劇が野球人生を変えた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

「オープン球話」連載第77回 第76回を読む>>

【入団当時のサッシーは松岡弘よりも球が速かった】

――昨夏は甲子園大会が開催されませんでしたが、今年は2年ぶりに、甲子園に全国の高校球児たちが帰ってきます。そこで、今回はヤクルトに在籍していた「甲子園のスター」、長崎・海星高校出身の酒井圭一さんについてお話を伺いたいと思います。八重樫さんは1976(昭和51)年夏の「サッシー」ブームはテレビでご覧になっていましたか?

八重樫 当時は僕も現役選手だったので、甲子園中継は見られなかったけど、夜のスポーツニュースでは注目して見ていました。印象としては「いい投げ方をしているな」という感じでしたね。昔のピッチャーのように、大きく振りかぶって堂々と投げていましたよ。セットポジションや、足を上げたまま止めたりしないで、スムーズに、ダイナミックに投げている姿に非凡さを感じました。

セーブを挙げた松岡弘(左)から初勝利の祝福を受ける酒井圭一セーブを挙げた松岡弘(左)から初勝利の祝福を受ける酒井圭一この記事に関連する写真を見る――そして、1976年のドラフト1位でヤクルトに入団します。この指名には、長崎出身の松園尚巳オーナーの意向が強かったようですね。

八重樫 松園オーナー直々の「指名指令」だったようですからね。ドラフト前から、「今年は酒井を1位指名するらしいぞ」というのは、チーム内でも話題になっていました。実際に入団前に、当時は寮長だった小川(善治)さんが、みんなに内緒で長崎に行き、直々に酒井にだけ基礎トレーニングを行なったって、のちに酒井本人から聞いたけど(笑)。

――小川さんは1970年シーズン途中に監督代行を務めた方ですね。八重樫さんが実際に酒井さんのボールを受けたのは、広岡達朗監督時代の1977年キャンプですか?

八重樫 そうでした。初めて酒井のボールを受けた時のことは、今でもハッキリと覚えていますよ。とにかく、「驚いた」のひと言でしたね。

――何に「驚いた」んですか?

八重樫 ボールの伸びですよ。高めならともかく、低めのボールが実によく伸びる。そんなピッチャーはいませんでした。松岡(弘)さんにしても、浅野(啓司)さんにしても、高めのボールは速かった。でも、低めになると、高めほどではないんです。それに対して酒井は、低めのボールがグーンと伸びていました。

――大エースの松岡さんよりもすごいストレートを投げていたんですか?

八重樫 海星高校時代をテレビ画面で見ていた時は気づかなかったけど、あんなにすごいボールを投げる投手は酒井以外に見たことはないね。「高卒ルーキーとして」スゴいんじゃなくて、「プロの投手として」スゴかったんですよ。それまで何人も速球投手のボールを受けていたけど、あんなに速いボールは見たことがなかったな。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る