2021.08.04

投球が「怪物」だった甲子園のアイドル。ドラ1でヤクルト入団後、ある悲劇が野球人生を変えた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

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【入団当時のサッシーは松岡弘よりも球が速かった】

――昨夏は甲子園大会が開催されませんでしたが、今年は2年ぶりに、甲子園に全国の高校球児たちが帰ってきます。そこで、今回はヤクルトに在籍していた「甲子園のスター」、長崎・海星高校出身の酒井圭一さんについてお話を伺いたいと思います。八重樫さんは1976(昭和51)年夏の「サッシー」ブームはテレビでご覧になっていましたか?

八重樫 当時は僕も現役選手だったので、甲子園中継は見られなかったけど、夜のスポーツニュースでは注目して見ていました。印象としては「いい投げ方をしているな」という感じでしたね。昔のピッチャーのように、大きく振りかぶって堂々と投げていましたよ。セットポジションや、足を上げたまま止めたりしないで、スムーズに、ダイナミックに投げている姿に非凡さを感じました。

セーブを挙げた松岡弘(左)から初勝利の祝福を受ける酒井圭一セーブを挙げた松岡弘(左)から初勝利の祝福を受ける酒井圭一 この記事に関連する写真を見る ――そして、1976年のドラフト1位でヤクルトに入団します。この指名には、長崎出身の松園尚巳オーナーの意向が強かったようですね。

八重樫 松園オーナー直々の「指名指令」だったようですからね。ドラフト前から、「今年は酒井を1位指名するらしいぞ」というのは、チーム内でも話題になっていました。実際に入団前に、当時は寮長だった小川(善治)さんが、みんなに内緒で長崎に行き、直々に酒井にだけ基礎トレーニングを行なったって、のちに酒井本人から聞いたけど(笑)。

――小川さんは1970年シーズン途中に監督代行を務めた方ですね。八重樫さんが実際に酒井さんのボールを受けたのは、広岡達朗監督時代の1977年キャンプですか?

八重樫 そうでした。初めて酒井のボールを受けた時のことは、今でもハッキリと覚えていますよ。とにかく、「驚いた」のひと言でしたね。

――何に「驚いた」んですか?

八重樫 ボールの伸びですよ。高めならともかく、低めのボールが実によく伸びる。そんなピッチャーはいませんでした。松岡(弘)さんにしても、浅野(啓司)さんにしても、高めのボールは速かった。でも、低めになると、高めほどではないんです。それに対して酒井は、低めのボールがグーンと伸びていました。

――大エースの松岡さんよりもすごいストレートを投げていたんですか?

八重樫 海星高校時代をテレビ画面で見ていた時は気づかなかったけど、あんなにすごいボールを投げる投手は酒井以外に見たことはないね。「高卒ルーキーとして」スゴいんじゃなくて、「プロの投手として」スゴかったんですよ。それまで何人も速球投手のボールを受けていたけど、あんなに速いボールは見たことがなかったな。