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大矢明彦は「谷繁タイプ」のキャッチャー。「古田タイプ」との違いも八重樫幸雄が解説

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

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【大矢さんが若手を激しく叱責した思い出】

――今回も引き続き、大矢明彦さんとの思い出を伺っていきたいと思います。1970年代は大矢さんがレギュラー捕手として君臨していましたが、1981年頃から徐々に試合出場が減っていき、代わって八重樫さんの出番が増えていきます。この頃の心境は覚えていますか?

八重樫 「ようやく、オレの出番だ」というより、「大矢さんよりも元気を出して、しっかりやらなくちゃ」という意識のほうがずっと強かったですよ。大矢さんが偉大なキャッチャーだったから、「チームに迷惑をかけないように」というプレッシャーもあったし、結果が出始めてからは「もっともっと上に」という気持ちも出てきたし。少しずつ心境は変化していった気がしますね。

1970年代にヤクルトの正捕手を務めた大矢明彦(左)と廣岡達朗監督(右)1970年代にヤクルトの正捕手を務めた大矢明彦(左)と廣岡達朗監督(右)――前回伺った「大矢さんの厳しさ」とはまた違った捕手像を目指したんですか?

八重樫 確かに大矢さんはとても厳しい人でした。大矢さんがヤクルトの選手会長のときに、僕が副会長を務めたことがあるんです。キャンプでのことだったけど、大矢さんが「若手たちがきちんと挨拶をしない」とすごく怒っていて、「おいハチよ、ちょっと注意をしてくれ」と言われたことがありました。

――それで、どうなったんですか?

八重樫 ユマキャンプで、練習後にみんなを集めて「きちんと声を出して挨拶しなさい」と注意しました。でも、最初はいいんだけど、しばらくするとまた挨拶がいい加減になってきて。それで「今度はオレが言うよ」となって、大矢さんが自ら若手に注意をしたんです。

――八重樫さんが注意したときと、若手たちの反応は違ったんですか?

八重樫 プロ入りも同期だし、大矢さんが引退されるまでずっとチームメイトだったけど、あんなに怒った姿は初めて見ましたね。ものすごく大きな声で厳しく叱ったんです。それでチームもすごくピシッとした。僕自身は、大矢さんに怒られたことは一回もないんですが、「礼儀やしつけに関しては、これだけ厳しく徹底させるんだ」というのは印象的でしたね。

――そうなると必然的に、八重樫さんは大矢さんと違うタイプを目指すようになりますね。

八重樫 そうだよね。僕にはあれだけの厳しさはないから、大矢さんと同じタイプにはちょっとなれないかな、と感じたよ(笑)。

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