高木勇人が語る人的補償。「いい度胸してんな」と栗山巧に言われた失態とは? (4ページ目)

  • 森大樹●取材・文 text by Mori Daiki

 年が明けて1月4日には、神奈川を退団して再びメキシコに挑戦することを発表した。西武への移籍を境に、選手として厳しい道を歩んでいるように見える高木だが、「むしろ移籍は積極的に行なわれるべき」と話す。

「日本では移籍が重く捉えられがちですが、もっと頻繁に行なわれて、FAの話題が薄まるぐらいになればいいなと思っています。今は、誰がFA宣言をして、誰が人的補償に選ばれたかが大々的に報道されるじゃないですか。でも、移籍が多くなれば選手も周囲の人たちも慣れていくんじゃないかと。

 移籍が決まっても『ちょっと行ってきます』くらいの感覚になるといいですよね。もう一度トレードされて戻ってくるなんてこともあっていい。今は、球団が変わると同等の条件を受けられるとは限らないので、その面でも選手にとってマイナスにならないようにしてほしいです。もちろん、選手自身がそれに甘えてはダメですが。やはりプロ野球選手としては、球団の"顔"になることを目指さないと」

 前述したとおり、プロ野球選手は数字がすべてであることは理解している。さまざまな外的要因があったにせよ、昨季も目に見える結果を残せず、もどかしく思う部分はあるに違いない。

 それでも高木は、逆境が続いてきた自身のキャリアを前向きに捉えている。

「人的補償になったおかげで西武に関われて、そこで戦力外になったことでメキシコにも行けて、神奈川フューチャードリームスでもプレーできた。その中でいろいろな方に出会えたことが財産になっています。『移籍していなかったらその後にどうなっていたか』なんて、誰にもわかりません。もちろんプロ野球でずっと活躍できるのもいいですけど、小さなコミュニティーに収まってしまった可能性もありますよね。だから移籍を経験してよかったというか、『これが自分の道だったんだろうな』と思います」

 巨人で将来を嘱望される立場から一転、波乱万丈な野球人生を歩んできた高木。しかし、まだ31歳で老け込む年齢ではなく、環境の変化も苦にしない強みはメキシコ再挑戦でもプラスに働くはずだ。

 将来、移籍やさまざまなカテゴリーでのプレー経験者として、当事者の視点から野球界に新たな提言をすることも可能だろう。そのためにも今は、現役選手として説得力ある結果を残す時だ。

■高木勇人(たかぎ・はやと)
1989年7月13日生まれ。三重県津市出身。海星高校、三菱重工名古屋を経て、2014年ドラフト3位で巨人に入団。ルーキーイヤーに9勝を挙げた。2017年オフに人的補償で西武に移籍。2020年はルートインBCリーグ・神奈川フューチャードリームスでプレーし、2021年は再びメキシカンリーグに挑戦することを発表した。

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