2021.01.05

「衝撃度は間違いなく中田翔が一番」。
名将もホレた投手としての才能

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 2年夏も4番として甲子園出場を果たしたが登板はなく、秋はマウンドに上がったものの本来の投球にはほど遠かった。

 一方で打者としてはホームランを量産。周囲は中田を打者として見る向きが強くなっていった。しかし、本人の思いは変わらずマウンドにあった。2年秋の大会が終わった時のインタビューではこう答えている。

──  今でもピッチャーのほうが好き?

「はい、ピッチャーがいいです。この先もできるならピッチャーをやっていきたいです」

── 2年の春以降、バッティングの練習時間も増えて、興味が強くなってきたことは?

「打つことも好きですけど、投げて、打つのが自分のスタイルですし、打つことよりも投げることが先にあるんです。だからピッチャーをやって、そして打ちたい」

 3年春となり、ヒジの状態も安定し、センバツでは2試合に先発。球速よりもキレを重視し、ストレートとスライダーを軸に18イニングを投げて2失点。西谷監督が常々、「投手としてのセンスは打者としてのセンスより格段に上」と話していた能力をいかんなく発揮。この甲子園での好投で、中田のマウンドへの思いはさらに高まった。

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 そして迎えた最後の夏。コンディションはほぼ戻り、大阪大会では準決勝までの6試合(25回2/3)を投げて1失点、36奪三振。重さを増したストレートと鋭く曲がるスライダー、さらに打者を翻弄するパーム。まったく打たれる気配がなく、普通に見ればドラフト1位級のボールに思えたが、その時点でスカウトの目は「打者・中田」で固まっていた。

 学年が上がるにつれて体型が大きく変わり、ボリュームアップ。打者として迫力が増す一方で、投手としての柔らかさは消えていった。

 金光大阪との決勝戦は先発登板するも、バント処理の際に股関節を痛めて5回途中で降板。バッティングでも3度得点圏に走者を置いた場面で打席に立つもいずれも凡退。試合も1点差で敗れ、中田は号泣。高校野球生活の終わりはマウンドとの別れでもあった。