DeNAロペスは11人目。国内FA権を取得した「助っ人」たちの功績 (4ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Kyodo News

 2000年から西武でプレーした許銘傑は、2011年シーズン中に国内FA権の資格を取得。シーズンオフに外国人選手として初めてFA権を行使し、西武時代と同じ年俸2200万円でオリックスに移籍した。移籍1年目の2012年は37試合0勝3敗1S10ホールドとブルペンを支え、2014年から2016年までは母国・台湾球界でプレーして現役を引退した。

 許銘傑が在籍1球団で国内FA権を取得したのに対し、小刻みに移籍しながら条件を満たしたのがホセ・フェルナンデスだった。

 2003年のロッテを皮切りに、翌2シーズンは西武、2006年から2008年は楽天、2009年はオリックス、2010年から2シーズンを再び西武でプレーし、2011年6月に国内FA権を取得した。西武とは契約交渉が折り合わず、年俸7000万円で楽天へ。

 楽天での2012年は外国人枠の対象外でプレーし、129試合に出場して打率・243、3本塁打、51打点。2013年はメキシコリーグでプレーしていたが、7月にオリックスに加入するも、出番に恵まれずにシーズン限りで現役を引退した。

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 日本球界にFA制度が導入された1993年以前も、レオンとレロンのリー兄弟や三冠王のブーマー・ウェルズなど、日本球界で10年以上プレーした選手は数多くいた。そのなかで、国内FA権の取得第1号となったのは郭泰源だ。

"オリエンタル・エクスプレス"の異名をとった150キロ超えのストレートを武器に、主力投手として西武の黄金時代を支えた。西武に在籍した1985年から1997年までの13シーズン通算成績は117勝68敗18セーブ。

 郭泰源はFA制度導入前から日本球界でプレーしていたが、FA制度導入後の日本球界に所属して権利を手にした第一号というと、タフィ・ローズになる。

 NPB通算13年間で本塁打王4回、打点王3回、外国人最多の通算464本塁打を記録したローズは、1996年から2003年まで近鉄でプレーし、2003年オフに近鉄との契約交渉が決裂して巨人に移籍。2004年シーズン途中にFA権利権利の条件を満たし、翌2005年シーズンから外国人枠の対象外となった。

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