伝説の日本シリーズ、強かったのはどちらか。西武ナインそれぞれの答え (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

【そして今、野村の遺伝子は球界全体に......】

『詰むや、詰まざるや』では、冒頭に掲げた「どちらが強かったのか?」「決着はついたのか?」を、西武、ヤクルトの関係者に訪ね歩くところから始まった。この質問に対し、石毛宏典は「何をもって互角というか、ですよね。たとえば、1992年も第7戦の広沢の変なスライディングがなければうちは負けていた。どちらが勝っている、どちらが劣っているというのは、本当に難しいことですよ」と答えを保留した。

 渡辺久信は「決着か......。別に決着をつけなくてもいいんじゃないですか? 2年続けて第7戦まで行くっていうことはどっちも精神力が強いんですよ。どちらかがプツンと切れちゃったら4勝1敗ぐらいで終わっています。特に1992年は、延長戦が4試合もありましたよね。技術はもちろんだけど、精神的なタフさをどちらも持っていたんです」と笑う。

 秋山幸二は「あの2年間、両者の力はそんなに変わらなかったと思うんです。その結果、2年とも4勝3敗で両チームが日本一になった。ということは両方ともいいチームだった。両方とも強いチームだった。そういうことじゃないのかな?」と結論づけた。

 中には潮崎哲也のように、「勢いがあったのは間違いなくヤクルトだった」と語る者もいれば、笘篠誠治のように「当然、西武が強かった」と断言する者もいた。それぞれに、それぞれの答えや解釈があるのが実に興味深かった。しかし例外なく、西武関係者全員が、「野村監督が......」と自ら語り出したことは、あらためて強調しておきたい。そこまで、相手チームに警戒心を与えることができる指揮官は野村以外に、今後も登場しないのではないだろうか。

 2020(令和2)年2月11日、野村克也が84歳で天に召された。当時、黄金時代を迎えていた西武を相手に死闘を繰り広げた1992年、1993年からおよそ30年もの時間が流れていた。名将の死は、球界にとって大きな損失だ。

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