野村克也と伊原春樹に決定的な亀裂。ある選手の盗塁失敗が原因だった (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

 西武時代、コーチの伊原の指示によって走者がホームで憤死したとしても、決して森監督から責められることはなかった。だからこそ、野村の対応には納得がいかなかった。

 そのあと、伊原は巨人のヘッドコーチとなり、野村は楽天の監督になる。そして、2008年の交流戦では、野村が「バッカじゃなかろかルンバ。巨人は面白い野球をするね」と巨人・原辰徳監督を批判した。そして、その翌年の交流戦では楽天相手に4戦全勝すると、伊原は「今日は1年間お預かりしていた、あのお言葉をそっくりそのままお返しさせていただきます。バッカじゃなかろうか〜、ルンバ!」と、野村にお返しした。

「野村さんとはいろいろあったけど、それでも1992年、1993年にヤクルトと戦った2年間の日本シリーズは史上屈指の名勝負だったと思います。それはやっぱり、野村さんがヤクルトをいいチームに育て上げたからだと思います」

『詰むや、詰まざるや』の執筆のために、のべ50人近い関係者に話を聞いた。その中で唯一、野村に対して愛憎相半ばする思いを抱いていたのが伊原だった。それだけに、彼の言葉は強く印象に残ることになったのだ。

(第6回につづく)

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