名球会よりも難しい「永久欠番」。各球団にどんな選手がいるのか

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Masuda Yuichi

 プロ野球で最新の「永久欠番」といえば、楽天の監督だった星野仙一の「77」である。

 激烈なまでの求心力で中日、阪神をリーグ優勝へと導いた「闘将」は、楽天監督初年度の2011年に東日本大震災に見舞われた東北に活気を与え、2013年には球団初のリーグ優勝、日本一を実現させた。

 退任後は、球団副会長としてチームの底上げに尽力するなど多くの功績を称え、逝去した2018年に球団が監督時代の背番号を永久欠番に制定した。指導者として身に着けていた番号としては、日本で唯一無二である。

2018年に楽天監督時代に星野仙一氏が背負っていた「77」が永久欠番となった2018年に楽天監督時代に星野仙一氏が背負っていた「77」が永久欠番となった 今日では当たり前のように認識されている背番号は、1929年にメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースが最初に採用したと伝えられ、打順が背番号に反映されていたという。

野球界で史上初の永久欠番は、チームの4番打者であり、当時の世界記録である2130試合連続出場を樹立した、ルー・ゲーリックの「4」だった。

 日本における最初の永久欠番は、巨人に在籍していたふたりである。終戦間もない頃に中心選手として活躍した黒沢俊夫の「4」。1934年の日米野球でベーブ・ルースやゲーリックらアメリカ選抜の強打者を抑え、投手の最高栄誉である「沢村賞」の由来として知られる沢村栄治の「14」だ。

 巨人でいえば、王貞治の「1」と長嶋茂雄の「3」のインパクトがあまりにも強い。しかし、全球団を見渡すと、永久欠番を持つ選手は思いのほか少ないことがわかる。

<永久欠番一覧> ※掲載は制定年と主要成績

■巨人
「1」王貞治(1989年/2786安打、868本塁打)
「3」長嶋茂雄(1974年/2471安打、444本塁打)
「4」黒沢俊夫(1947年/459安打、7本塁打)
「14」沢村栄治(1947年/63勝22敗)
「16」川上哲治(1965年/2351安打、181本塁打)
「34」金田正一(1970年/400勝298敗)

■阪神
「10」藤村富美男(1958年/1694安打、224本塁打)
「11」村山実(1972年/222勝147敗)
「23」吉田義男(1987年/1864安打、350盗塁)

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