巨人では抑えのエース。河原純一がNPBと独立リーグのギャップを語る
1994年のドラフトで巨人から1位指名(逆指名)を受け入団し、その後、西武、中日でもプレーした河原純一氏が四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツの監督に就任したのは2017年のことだ。今季で4年目、四国独立リーグの監督としては最古参となった河原氏に独立リーグについて語ってもらった。
2017年から愛媛マンダリンパイレーツの監督を務めている河原純一氏── 現役時代の話からお聞きします。巨人、西武、中日と3チームでプレーしましたが、投球スタイルは変わっていきました。
「巨人時代の4年目の開幕前に肩を痛めてしまったんです。そこからは、以前のような状態では投げられなくなってしまったんです。入団当初は『打てるものなら打ってみろ』という気持ちを前面に出していましたが、ケガして球威が落ちてからは、どうしても慎重にならざるを得なくなりました」
── 中日では中継ぎ投手として活躍されました。
「落合(博満)監督に中継ぎで使ってもらった時には、正直、ストレートをホームベース上に投げるのが怖かった。だから、とにかく打者には変化球を意識させておいて、意表をつく感じでストレートを投げていました。もう平気でストレートを投げ込むことができなくなっていました。
でも、そうなってからピッチングはスピードだけじゃないなと。変化球と見極めがつかないストレートの投げ方だったり、球質だったり......ただ速いだけじゃなく、それなりにスピンが効いて、バッターの手元でも球速が落ちないような球が打ちづらいんだろうなと、いろいろ考えるようになりました。選手生活の晩年になってから、新たな発見がありましたね」
── NPBでは14年間プレーされましたが、一番印象に残っているバッターは誰ですか。
「どこに投げても打たれそうだなと思ったのは、横浜のロバート・ローズです。当時の横浜には鈴木尚典とかいいバッターがたくさんいましたが、走者を置いてローズと対戦すると、どこに投げても打たれる気がしました。実際、タイムリーをよく打たれました。でも、意外とど真ん中に投げたら内野フライに打ち取れたり......(笑)」
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