スーパーカートリオ加藤博一との秘話。八重樫幸雄「2人の時は真面目だった」 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

――加藤博一さんは2008年に亡くなられましたが、闘病を続けていたことはご存知だったんですか?

八重樫 いや、全然知らなかったな。一度、新横浜の駅でバッタリ会ったんだけど、その時にすごく痩せていて髪の毛も抜けていたんです。それで「おい、どうしたんだよ?」って聞いたら、「今、減量してるんだ」って言ったんだよね。現役時代から、彼は自分を追い詰めるタイプだったから、その時も「ストイックに減量しているのかな?」って思ったんだけど、まさかあんなに早く亡くなるなんて思わなかった。本当に残念だったよ。同い年だっただけにショックも大きかったな。

――最初に話題が出ましたけど、昭和当時の「交流」というのは、今の時代とはまた違ったつき合い方だったんですね。

八重樫 うん。決して、一緒にお酒を呑んだり、プライベートの交流があったわけじゃないけど、それでもこういう思い出もあるんだよね。本当にいいヤツだったな。

――博一さんと言えば、「スーパーカートリオ」の一員として有名でしたね。

八重樫 そうだよね。一番・高木豊、二番・加藤博一、三番・屋鋪要。俊足3人が並ぶ、あの当時の大洋打線は相手からしたら、すごくイヤだったよね。それじゃあ、「交流」というわけじゃないけど、「スーパーカートリオの思い出」を話してみようか。

――いいですね。当初の企画から変更して、「八重樫幸雄が語る思い出の名選手たち」というテーマで、進めていきましょうか?

八重樫 よし、そうしましょう。じゃあ、次回はヒロカズだけじゃなく、屋鋪要、高木豊も含めた3人について、話しましょうか。

――いいですね。1980年代前半の大洋ホエールズの目玉でもあった「スーパーカートリオ」について、ぜひ次回にお願いします!

(第37回につづく)

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