門田博光が本気で探す後継者。「王貞治を超えるバッターを育てたい」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

「要するに、お友達か。みんなどないしてつながるんや......そんな時間、どこにあるんや。オレの現役時代は、試合に行っても『おはようさん』と『お疲れさん』の2つだけ言うて帰ることがしょっちゅうやった。ニコニコ、ペチャクチャとくだらん話なんかしているより、どうやってホームランを打つか、どうやって大型戦車(助っ人外国人選手)に負けん打球を飛ばすか、そんなことしか考えてなかったからな」

 そして、最後にこうつぶやく。

「(ホームランを)打ったことないヤツが何を教えるんや」

 門田が言わんとするところは、寝食を忘れるほど打撃を突き詰めたことがあるのか、年間40~50本のホームランを本気で目指したことがあるのか、ということだ。そうした経験のない者がプロの打者相手に、いったい何を教えられるのかということだ。

 門田は現役を引退したあと、しばらくは何の縛りもない暮らしにどっぷり浸り、心ゆくまでの解放感のなかで過ごした。

「選手時代はひたすらトライして、引退した時には余力なんか一切残ってなかったからな。だから辞めた瞬間、いっぺんに歳をとった気分になって、野球はもうええと思ったし、指導者としてという考えもまったくなかったんや」

 だが、病や人間関係のこじれなどもあり、評論活動に区切りをつけ人里離れた場所で気ままな暮らしを続けていると、ふとグラウンドが恋しくなった。やがてその思いは、「オレの教えを注ぎ込んだ打者を育ててみたい」と膨らんでいった。

 門田が初めて仕事として選手を教えたのは2009年。のちに関西独立リーグにも参戦した大阪ホークスドリーム(現在は日本野球連盟に所属)の前身である野球塾のような組織に指導者として参加した。

 練習場は大阪南部にある緑地公園内のフットサル用の小スペースで、門田はそこでふたりの若者相手にティーバッティングのボールを上げていた。練習がひと段落したところで声をかけると、「ナンバーワン(王貞治)を超えるようなバッターを育てたいんや」と熱く語ってきた。だが、壮大な夢を語る門田と重そうにバットを振る若者とのギャップに、なんとも切ない気持ちになったものだ。

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