2020.09.07

根本陸夫が狙った巨人の抑えエース。
工藤公康とのトレードは幻となった

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第16回
証言者・鹿取義隆(1)

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 1989年のオフ、11月に入って間もなく、あるスポーツ紙が大型トレードの可能性を一面で報じた。西武が巨人・鹿取義隆、山倉和博のバッテリー獲得に乗り出し、交換要員として工藤公康の名前が浮上したとの記事。西武の編成責任者、根本陸夫の談話が載っている。この年、根本はコーチが起こした不祥事の責任を取り、管理部長からスカウト部長へ降格していた。

「巨人とのトレード? 今年の前半戦の最中にあったのを、今になって騒いでいるんだろう。シーズン中に出た話だよ。動きは止まっているし、巨人は米国キャンプへ行くんだろう? 動くとしても、もっと先だよ」

 対して巨人サイドは「両選手とも来季の戦力と考えている」とコメント。

 一方で西武・工藤については、2年連続の成績不振ゆえに名前が出たと見られたが、その5日後、「トレードは絶対にない。出すわけがない」と根本が断言。「どこのチームも左投手が不足している。1年目のフォームを思い出せば、すぐ復活する」と付け加え、事実上、残留が確定した。

王監督時代、巨人のリリーフエースとして活躍した鹿取義隆 もっとも、根本が明かしたとおり、鹿取については同年6月にトレード話が持ち上がっていた。そして最終的には西武に移籍するわけだが、それまでにどんな経緯があったのか。現役引退後は古巣に戻り一軍と二軍のコーチを歴任、侍ジャパン テクニカルディレクターなどを経て、巨人GMまで務めた鹿取に聞く。

「実際、6月頃にトレードの話はありました。僕が聞いたのは西武じゃなくて、西日本の都市を本拠地とする球団だったけど。ちょうどゲームに使われなくなっていた時期で、自分では状態はいいと思っていても、周りから見てよくなかったんだろうなと。結局、その球団との話は破談になったけど、またトレード話かよって。でも、そろそろかな......という思いもあったね」

 鹿取は入団3年目以降、毎年のようにトレード要員として名前が挙がっていた。ゆえに慣れていたわけではないが、そこまで名前が出てくる原因を自分なりに考えると、「ドラフト外の選手としての扱いだったからか」としか思いつかなかった。

 とはいえ鹿取自身、初めからプロを目指していて巨人に入団したわけではない。