28歳の堂林翔太には技術的な裏づけと覚悟がある。プリンスは覚醒した (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Nishida Taisuke

―― カッコいい、美しいと感じるプレーは?

「派手にプレーしていると、それがカッコいいとか、美しいとかになるのかもしれませんけど、僕はそういうプレーよりも、泥臭く、ひたむきにプレーしている人を見ると、カッコいいなと思います」

―― 野球の神様の存在を信じますか。信じるとしたら、存在を実感したことはありますか。

「信じます(笑)。いるんじゃないですかね。いる気がします」

―― じゃあ、存在を実感したことはあるということですね? どんなときに?

「すごいいい場面で回ってきたりとか、そのくらいですかね」

―― では、堂林さんにとっての野球の神様の性別や年齢など、見た目のイメージを教えてください。

「うーん......これはわかりません。これ、却下でお願いします(笑)」

―― でも、男だろうね。

「そうですね。でも、神様の年齢とかをイメージする人って、いるんですかね。逆に教えてほしいです。教えて下さい(笑)」

―― もし野球の神様がいるとして、ひとつお願いできるとしたら、何を叶えてもらいますか。

「えー、なんだろう......絶対にケガをしない身体かな」

―― やっぱり身体が元気じゃないと、練習もできないし。痛かったら、何かしら影響が出てくるからね。

「そうですね。僕もそう思います。ケガをしない、丈夫な身体を、最強の身体を下さいとお願いします」

 過去、球界で『プリンス』という冠がついた選手はそんなにいるものではない。記憶に残るプリンスと言えば60年代、"甲子園のプリンス"と騒がれた太田幸司、70年代に"六大学のプリンス"と呼ばれた山下大輔、さらには80年代、"球界のプリンス"と称された原辰徳が挙がるくらいだろうか。21世紀に入ってからだと斎藤佑樹の"ハンカチ王子"も、日本語バージョンとして含めればプリンスのひとりと言ってもいいのかもしれないが、いずれにしても『プリンス』は過去、球界には数えるほどしかいない。

 そんななか、"鯉のプリンス"がようやく覚醒した。まだ早い、と言うなかれ。シーズンが終わってからでも同じ言葉を綴れるはずだと、今は確信している。ボール球を振らない、センターへ打ち返す......そのための技術的な裏づけと精神的な覚悟が、今の堂林には備わっている。河内広報から託された音声ファイルには、そう感じさせるだけの自信に満ちた、28歳のプリンスの声が残されていた。

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