宮﨑敏郎「やめていたかも」。ギリギリ進んだプロの世界で球界屈指の打者へ (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Koike Yoshihiro

 この独特の打撃スタイル、感性を守るために、おそらく宮﨑は身を削るような戦いをくぐり抜けてきたのだろう。時には自身の打撃フォームを否定され、傷つくこともあったかもしれない。だが、宮﨑は結果を残すことで、自分の打撃を守ってきた。インタビュー中に発せられる独特の緊張感は、言わば自分の誇りを守る防波堤なのかもしれない。

 宮﨑は誰に言われずとも、黙々と練習する。ある筋から「宮﨑は誰よりも早く横浜スタジアムに来ている」というのを聞いたことがあった。だが、本人に確認すると「そんな話はないです」と否定されてしまった。並外れた練習量が周囲のイメージを喚起させ、大げさな伝説を生んだようだ。

 とはいえ、その肉体は決してタフというわけではない。毎年のように故障に苦しみ、昨季も左手有鉤骨骨折で戦線離脱している。宮﨑は「ここまではできる、というギリギリの判断が難しい」と明かす。

 そして、ただやみくもに長く練習しているわけでもない。

「一日のなかでテーマを決めて、納得したら終わりにしています。たとえば『逆方向に強い打球を打つ』とか『この角度でバットに当てて打つ』とか。数を多く打つときもありますし、短時間で集中して終わるときもあります」

 24歳でプロ入りした宮﨑は、今季で32歳になる。第三者としては年齢を気にしてしまうが、宮﨑は「練習量は減らしたくない」と語る。

「体が変わっていくなかで、確認作業はすごく大事かなと思うので。しっかり体に覚えさせることを意識してやっているつもりです」

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