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宮﨑敏郎「やめていたかも」。ギリギリ
進んだプロの世界で球界屈指の打者へ (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Koike Yoshihiro

 2012年夏の都市対抗野球大会1回戦・日本通運戦。セガサミーが0対2とビハインドを追う展開になった8回裏、宮﨑は逆転満塁弾をレフトスタンドへと運んだ。

「場面にもよるんでしょうけど、打つ、打たないでいえば全然違うと思います。でも、それがすべてなのかどうかは、自分が決めることではないので」

 他人の評価は自分ではコントロールできない。そのように振り返るのも、職人肌の宮﨑らしい。結果的にこの一打が文字どおり決定打となり、プロへの道は開けた。

 もし、社会人2年目にドラフト指名されていなければ、今も社会人でプレーを続けていたと思うか。そう尋ねると、宮﨑は軽く「うーん」とうなったあと、こう答えた。

「やめていたかもしれませんね」

 意外な答えだった。宮﨑なら環境がどこであれ、「自分の打撃」を追求し続けるのではないかと思ったからだ。それほど、宮﨑にとって「プロ」という世界は大きいものだった。

「そこを目指して小さい頃からやってきたので。そこにかける思いというのは、人一倍あったのかなと思います」

 そもそも、セガサミーへの入社にしても、綱渡りだった。日本文理大4年時、セガサミー側から「ショートを守れますか?」という打診を受けると、宮﨑は「守れます」と即答したという。実際には、大学に入ってショートとして試合に出たことはなかった。

 守備への自信があったわけではなく、「今も守備の自信はありません」と宮﨑は語る。それでも、セガサミーの監督や関係者が視察に訪れた日の練習で、宮﨑はショートに入ってノックを受けた。

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