T−岡田の運命を変えた「おばちゃん」。その出会いから虫捕り名人が強打者へ (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sportiva

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 観戦していた父兄からもため息が漏れた驚愕の一打は、いまも関係者のなかで語り草になっている。ちなみに、同じ大会でレフトフェンス奥にある川に放り込んだのが、大阪都島ボーイズでプレーした平田良介(現・中日)だ。この頃から関西のボーイズリーグでは「右の平田」「左の岡田」と並び称されていた。

 中学入学時にはすでに身長170センチを超えており、体重もたっぷり。のちの活躍を想像させる立派な体躯だった少年時代。だが、生まれ育った"岡田家"は野球に馴染む環境ではなかった。

 本人や両親に幼少期の思い出を聞くと、必ず出てくるのが"虫"の話題だった。小学校低学年の頃まで、とにかく虫捕りが大好きだった。捕まえた虫をカゴに入れて学校に持って行き、授業中も教科書を立てながらこっそりと観察したこともあった。まさに"気は優しくて力持ち"を地でいく少年だった。

 虫好きの一方、スポーツも大好きだった。そもそも岡田家はスポーツ一家。ただ、父と姉はバレーボール、兄はバスケットボールと、野球には縁がなかった。土日になると近くの体育館に出かけ、インドアスポーツを楽しんだ。

 なかでも岡田を夢中にさせたのがバスケットだった。7つ上の兄の影響も大きく、家の中にバスケットゴールを設置するなど"バスケごっこ"に勤しみ、テレビでNBA観戦。父の秀和さんも「体も大きかったし、そのままバスケットの方へ進むのかと思っていました」と語るほどの熱中ぶりだった。

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