元ホークス吉村裕基はオランダ→沖縄へ。NPB131本塁打の男が選んだ道 (2ページ目)

  • 広尾晃●文 text by Hiroo Koh
  • photo by Hiroo Koh

 3年目の2005年は故障もあって、一軍出場はなし。3年間でわずか6安打、1本塁打の成績しか残せなかった。

「牛島(和彦)監督になって2年目に外野コンバートの話があったんです。もちろん、外野にもいい選手はいっぱいいましたけど、ダメだったら終わりだろなという気持ちでチャレンジしました。プロは飛び抜けた選手ばかり入ってくる世界で、そんなにチャンスはないけど、見てくれている人がいると思って頑張りました」

 4年目の2006年は規定打席に未到達ながら打率3割をマーク。翌年には村田と中軸を組むまで成長した。

 そして2008年にはキャリアハイの34本塁打、91打点をマーク。また、外野手としてリーグ最多の11補殺を記録するなど、身体能力の高さを証明してみせた。

 しかし尾花高夫監督が就任した2010年、吉村は不振もあって、先発を外れる日が多くなった。

「僕に取って代わるような選手はたくさんいました。それに僕は初球からガンガン振るのですが、出塁率とか選球眼とか言われると手が出なくなる。『低めのボールは振るな』と言われるのですが、僕にとってそのコースはいい当たりになるか、凡ゴロになるか、紙一重なんです。よく初球のスライダーを空振りしましたが、自分ではバットが出かかって止めるよりも、思い切って振ったほうが投手に考えさせることができるし、いいんじゃないかと思っていました。でも、それをよしとしないコーチもいるわけで......」

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