ドラ1・大石達也を苦しめた重圧。「全然プロのレベルではなかった」 (4ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • TOBI●撮影 photo by TOBI

 今は榎田(大樹)さんとか内海(哲也)さんが若手とそういう話をしているのを見ますけど、選手同士じゃないですか。それでもいいけど、裏方でもそういう人がもうちょっと増えてこないと。そういう会話をするなかで、自分で考えるようになる若い選手もいると思うので」

 自問自答しながら試行錯誤し、人は突破口を見つけ出していく。そうしてプロの世界に飛び込み、壁にぶち当たった大石は、今後、若手が伸びる環境づくりを行っていきたいと考えている。

 一緒に目標設定を行ない、選手が自分自身で成長できるような環境を整える。その一環としてチームに育成プログラムをつくり、そのうえで個々に適した道を探れるようにする形が望ましい。

 そうした長期的目標への第一歩として、来年、大石は提携先のニューヨーク・メッツに野球留学する。コーチングとフロント業、どちらの道にも進めるように学ぶつもりだ。いずれの道に向かおうが、あらゆる知識が役に立つはずである。

「リーグによって、選手に対してコーチの教えている内容や目標設定も違うと思うので。レベルに応じてどういう練習をしているのか、個人に対してもいろいろ聞きたいです。2A、3Aの入れ替わりをどうするのか、選手編成の動きも見たいなと思っています」

 英語はさっぱりで、最初は通訳がつく予定だ。

「勉強しながら、ひとりでできるようになりたいです。行ってしまえば何とかなるかなと思って」

 前向きに、貪欲に――。挑戦を成功させるのは、少しの勇気と行動力だ。少しでも早く英語力を高め、コーチングやフロント業に生きるものをどれだけ吸収できるかは、本人の意欲と好奇心にかかってくる。

 西武は今年、メッツと提携し、球団として学べるものが多くあるだろう。そのフロントランナーに指名された大石は、未来に向けて大きな期待を背負っている。

 9年前のドラフトで6球団競合の当たりくじを引き当てたのが、当時チームを率いていた渡辺久信GMだった。以降、大石はバラ色の現役生活を歩んだわけではない。むしろ苦労のほうが多かった。そうした時間はこれから歩む第二の人生で、必ずプラス材料になるはずだ。

「便利屋じゃないですけど、どちらの道にも行けるようにやりたいです」

 2010年のドラフトで西武が引き当てた逸材の真価がわかるのは、まだまだ先の話だ。

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