2019.10.09

古田敦也が西武戦で絶妙な判断。
クロスプレーに右足ブロックで構えた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

【「野村と森の代理戦争」という言葉はマスコミ用語】

―― 一方でこの2年間は、ライオンズの伊東勤捕手との比較で、「司令塔対決」とか、「代理戦争」と称されていました。この点について、古田さんはどうお考えでしたか?

古田 確かに「野村克也監督の代理」みたいな言われ方をしていたけど、僕自身は何も思っていなかった。それに、別に「伊東さんと戦っている」という意識もなかったです。考えていたのは「どうやって西武打線を抑えるか?」ということだけでしたから。

――「打者・伊東勤」に関しては意識もするし、対策も練るけれど、「捕手・伊東勤」については、特別な意識はなかったということですね。

古田 はい。「代理戦争」というのはマスコミ用語だと思っていました。マスコミは「野村(克也)対森(祇晶)」をあおる意味でそういう言葉を使っていただけで、僕は西武打線しか意識していなかったですね。それに、伊東さんはすでにすごい実績をお持ちの大先輩でしたから、こちらから意識して挑んでいくということもなかったです。

――さて、1993年の日本シリーズに話を戻します。スワローズの2勝1敗で迎えた第4戦。強風の神宮球場のマウンドに立ったのは川崎憲次郎投手でした。この試合は1-0でスワローズが勝利して、3勝1敗と王手をかける試合です。ここで、シリーズ屈指の名場面がありました。

古田 センターの飯田(哲也)がダイレクト返球で、ホームでアウトにした場面ですね。飯田はベンチの指示を無視して、勝手に前に出たんですよね。僕はただ、(打者の)鈴木健を抑えることだけを意識していたので、飯田の守備位置のことは気づきませんでした。

――鈴木健選手の打球はセンター前の痛烈なヒット。この打球をワンバンドで捕球した飯田選手からの送球はホームを守る古田さんに向かってのダイレクト返球でした。

古田 飯田が投げた時、「タイミング的にはアウトだな」と思いました。とはいえ、そこまで余裕があるわけでもなかったので、最初に考えたのは「左足からブロックにいくと、回り込まれる可能性があるな」ということでした。それで、右足でブロックにいったんです。

映像を見ながら当時を振り返る古田氏 photo by Hasegawa Shoichi ――ホームに突進するサードランナー側の足ではなく、反対側の「右足でブロックをしよう」と瞬時に考えたのですか?

古田 そうです。左足からブロックにいくと、回り込まれて追いタッチになる可能性がある。でも、少しだけ余裕があると思ったので、僕は右足を持っていった。そうすると、ランナーと正対する形になるんです。激しいスライディングを受けたとしても、足のレガースでブロックすればいい。タックルされても、そのまま後ろに飛べばいい。そう考えたんです。つまり、保険をかける余裕があったということです。

――その余裕というのは、時間の余裕ですか、気持ちの余裕ですか?

古田 時間です。「自分が落球さえしなければアウトになる」というイメージは、すでにできていましたから。アウトになった瞬間はやっぱり嬉しかったですね。