八重樫幸雄が今ならわかる荒川博の仰天指導「左足が着く前に振れ!」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――つかみかけたバッティングの極意を見失ってから、あらためて調子を取り戻すのはいつ頃のことだったんですか?

八重樫 アマチュア時代も、プロに入ってからも、バッティングで迷うことはなかったのに、一本足打法に挑戦してからは迷いっぱなし(笑)。ようやくコツをつかんだのは、すごく後のこと。現役晩年が近づいてきて、中西さんの指導でオーブンスタンスで打つようになってからのことだから、10年以上も後のことだね(笑)。

 でも、荒川さんの指導は、杉浦には大きな効果があったと思うよ。当時の杉浦は普通に打っても、センターからレフトへの打球が多くて、ライトに引っ張ることができなかったんだ。でも、引きつけて打つ僕とは違って、前でさばくバッティングフォームは杉浦には合っていたと思うし、実際にライトへの弾丸ライナーも増えたしね。本人は認めたくないようだけど(笑)。

取材時に、現役時代の姿がプリントされたタオルを持って微笑む八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi取材時に、現役時代の姿がプリントされたタオルを持って微笑む八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi【三原監督はヤクルトに大きな財産を残した】

――在籍はわずか3年間でしたが、三原さんがヤクルトに遺したものとは何でしょうか?

八重樫 根底にあるのは「審判がゲームセットと言うまでは、絶対にあきらめるな」ということかな? たとえどんな状況であっても、勝負をあきらめない、手を抜かないということは徹底されていたから。僕はまだ若手だったけど、とくに何かを注意されたり、日常生活についても口やかましく言われたりすることもないので、のびのび野球ができたことも大きかったと思いますね。

――前回も話に出ましたけど、「選手たちを大人扱いする」という姿勢は徹底されていたようですね。

八重樫 そうだね。だから、選手たちからの尊敬も集めていたと思いますよ。若松さんにしても、大矢さんにしても、三原さんのことは今でも尊敬していると思います。僕がもう少し大人だったら、もっと三原さんのすごさも理解できたと思うけどね。ただ、自分で言うのもなんだけど、とにかく懸命に練習をしていたので、そういう部分を三原さんは評価していてくれた気がしますね。

――三原さんが亡くなり、八重樫さんが現役を引退し、しばらく経った後、中西さん経由で「三原ノート」を与えられたと聞きました。それはどういう経緯で入手したのですか?

八重樫 僕がコーチになってからのことだから、もう平成になってからのことですよ。中西さんには、現役時代からずっとお世話になっていたけど、このとき初めて「これを読んでおけ」って言われて、ノートを渡されたんだよね。そのときは、「ようやく中西さんにも認められたのかな?」って、嬉しかったね。

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