2019.08.16

本人が自負。「巨人V9を支えたのは
柴田、高田、土井、黒江の好走塁」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第3回 柴田勲・後編

 平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号が令和になったいま、昭和は遠い過去になろうとしているが、その時代のプロ野球を盛り上げた多彩な選手たちのことを忘れてはならない。

 過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、個性あふれる「昭和プロ野球人」の真髄に迫るシリーズ。前回に引き続き、日本における”元祖スイッチヒッター”として6度の盗塁王に輝き、ジャイアンツのV9に貢献した柴田勲さんの証言を伝える。

赤手袋に背番号7。このスタイルを記憶しているファンは多い(写真=共同通信)

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 甲子園優勝投手として、あこがれの巨人軍に入団。ところが、1年目のシーズンを終えた1962年の秋に、早くも打者転向、しかも「左でも右でも、両方打ちゃあいいんだ」とスイッチヒッター挑戦を言い渡される。

 ただ、柴田さん本人にすれば、前例がないだけに厳しかったに違いない。どのような工夫をしたのだろうか。

「いやぁ、最初は何にもわかんなかったからさ、左打ちをやるんなら、左手を器用に使えるようにしよう、と。じゃあ、何をするにも左手だってことで、いつも右手はポケットに入れておく。煙草を吸うのも左手、箸を使うのも左手。何を食べるときもね、こうやって左手しか使わない」

 柴田さんはそう言うと左手でフォークを持ち、サラダをすくった。実際、手慣れた感じだった。

「ね? こういう工夫をやってみたわけよ。でもね、これが全然、バッティングとは関係ない。やってみて、よーくわかりました」

 思わずドッと吹き出してしまった。効果が得られなかった方法を、ここまで丁寧に説明する野球人、過去に誰もいなかった。

「打つのと、実生活で左手を使うのは関係ないんだね。やっぱり、スイングで作っていくしかない、ってことで、それからバットを振り始めた。初めてだから戸惑ったけど、それなりに形にはなってたかな。本当はバット長く持って、左でも、もっとホームラン打ちたかった。でも、結果を出すために一握り半ぐらい空けて、短く持ってね」