2019.06.18

エース引き抜き、徹夜で連投…。
土橋正幸が語っていた昭和のプロ野球

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第1回 土橋正幸・後編 (前編から読む>>)

 平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号が令和になったいま、昭和は遠い過去になろうとしている。だが、その時代、プロ野球にはとんでもない選手たちがゴロゴロいて、ファンを楽しませていた。

 過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、個性あふれる「昭和プロ野球人」の真髄に迫るシリーズ。ストリップ劇場チームの助っ人投手からテスト入団でプロ入りした土橋正幸さんの後編は、シーズン30勝の原動力となった”江戸っ子投法”について語られる。

東映は1962年の日本シリーズを制し、土橋正幸投手はMVPに選ばれた 写真=共同通信

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 1957年8月1日、近鉄戦、土橋さんは完封でプロ初勝利を挙げた。スコアは1対0だった。

「今考えると、自分で言ったらおかしいんだけどさ、よくやったなって思うね。それがきっかけでその年は5勝しましてね、次の年、昭和33年からは先発の枠に入って、その後、9三振だとか16だっていってね、一応、それなりの、土橋ってヤツがいるってことは知ってもらえたのかなと」

「9三振」とは、昭和33年=1958年5月31日、東映の本拠地=駒沢球場で行なわれた西鉄戦。エースの稲尾和久と投げ合った土橋さんは1回二死後、大下弘から4回の中西太まで9者連続で三振を奪った上、当時の新記録となる1試合16奪三振を達成した。

「あのときは15三振を7回で取っちゃった。8回は取れなくて、9回も取れなくてツーアウトになったんだけど、3対0で勝ってて相手が稲尾でしょ? わたしはもう、それだけでいい、勝てればいいと思った。ところが、次のバッターのセカンドゴロ、エラーになってね。次に河野昭修(こうの あきのぶ)さんが代打で来て、それで三振を取ったんです。

 あのとき、これも自分で言ったらおかしいけど、150キロぐらい出てたと思います。なにしろ炎天下の二軍で鍛えられて、スタミナありましたから。しかしホントにね、9連続なんてのも、 魚屋からプロってのと同じように、フィクションみたいでしょ?」