「いいコーチほど選手の記憶に残らない」と、あの名コーチは言った... (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 一方で、「名コーチ」といわれる指導者に巡り合ったことも明かされ、「あくまでも選手がベストパフォーマンスをするために助けてあげる、そんな人間関係を保てるコーチを目指したい」と語られていた。

 それから10年、コーチ経験を積んだ今、あらためて振り返って、その教えが参考になっている指導者は、近鉄時代の投手コーチだった権藤博、ヤクルト時代の監督だった野村克也だという。とくに権藤は1988年から2年間任。吉井が抑えとして活躍し始めた時期と重なっている。

「権藤さんは結構、お手本にしているところがあります。迷ったときに聞いたり、権藤さんの本が何冊かあるので読ましてもらったりしてますね。ただ、選手の時に直接言われたことって、とくにないんです。もう『向かっていけ!』しか言われてなかったんで(笑)。技術的なことは一切、言われなかった。『どんどんいけ。向かっていけ。あとはオレが責任取るから』って。本当に、それだけだったんです」

 にわかには信じがたい話だが、抑えを務めるレベルの投手には、細かい技術指導の言葉は必要なかった、ということなのか。とはいえ、吉井は87年まで計17試合登板にすぎず、翌88になって、一気に50試合登板を果たした投手だ。年齢的にもまだ23歳と若く、完全な主力とは言えない。ならば指摘されることも少なくなさそうだが、あるいは、起用法で気づかせるなど、"無言の教え"があったのだろうか。

「起用法は野村さんですよね。ヤクルトでは先発ピッチャーだったので、交替の時期などによって『すごく信頼されてるな』と感じていました。もうこの回で交代か、と思っていたら続投だったり。本当に信頼されていたかどうかはわからないですけど、モチベーションはすごく高まりましたね。その点、権藤さんはコーチでしたから、起用法は最終的に監督が決めることですし、提案もどこまでできていたか......。だから『向かっていけ』と。『マウンドではいつでもバッターに挑戦的な態度でいろ。その代わり、逃げる時はもうサーッと逃げろ』と。つまり、中途半端なことは言わなかったですね」

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