与田剛監督が描く根尾昂の未来像「二刀流の可能性はゼロではない」 (4ページ目)
── 監督は大学1年の時、お父さん(健児さん)を亡くされました。そのお父さんが「太く、短く」という言葉を監督に託したというお話を以前にうかがいました。1年目、新人王に輝いたシーズン中にお母さんの敦子さんが「無理しなさんな」と声を掛けた時には「いや、無理するんだよ、無理しないとやっていけない世界なんだ」と答えたお話も敦子さんから聞かせていただきました。選手として無理をしてきた与田監督は、今の選手に「無理しなさんな」と声を掛けたい気持ちはありますか。
与田 そうですね......確かに、一か八か、体を壊すかどうかというところで勝負しなければ生きていけない、トップになれない世界だと思っています。ただ、無理をすることによって自分が味わった悔しさも苦しさもよくわかるんです。選手たちにああいう思いをさせたいのかと聞かれたら、もちろんそんなことはないし、できればさせたくないと答えます。だけど私の中にそれが今、本当に苦しみとして残っているのかと言われたら、そうじゃないんですよね。手術もして、ケガもたくさんして、実力が落ちていくのが自分でわかってしまうという苦しい過去を今、振り返ると、絶対に思い出したくない過去じゃないんです。どこかで心地いいんですよ。今も曲がらないヒジ、痺れる右腕を眺めながら、感じるのは苦痛じゃなくて、「よくやったじゃん」という心地いい思いなんです。
誰に何を言われようが、自分が望んで野球をして、どんな結果が残ろうとも、いいじゃないか。決して満足はしていませんが、野球をやり切ったことが心地いい。だから、今、ウチにいる子たちには、ユニフォームを脱いだとき、「しんどかったけど、心地いいな」と感じてもらいたい。全員が活躍して、全員がタイトルホルダーにはなれませんけど、全員にそういう気持ちを持ってもらうことはできるかもしれない。それが、私が目指す監督としての仕事なんです。勝ちたいし、優勝したいんですけど、そういう気持ちにさせられる監督でありたいという気持ちは強いですね。
── 今でも手のひらには(血行障害の手術をした)T字型の傷跡は残っているんですか。
与田 もちろん残っていますよ。これは一生、完治しませんし、神経障害もあります。動きが悪かったり、ものがうまくつかめなかったりしますし、将来、動かなくなるんじゃないかという不安もあって、嫌で嫌でしょうがない。でも「これも野球をやったおかげなんだな」って思いたいんです。野球をやったせい、ではなくて、野球をやったおかげなんだと思った方が、遥かに心地いいですからね。
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