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清宮幸太郎インタビュー。ホームランへの
こだわり、父、そしてイチロー (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sportiva

野球を始めた頃から感じていた飛ばすことへの快感

―― 記憶に残っているもっとも古いホームランって、いつ打った一発ですか。

清宮 うーん、いつですかね。でも最初は軟式だったんで、ランニングホームランばっかりでした。ちゃんとオーバーフェンスしたホームランは小学生のとき、北埠頭のグラウンドで打ったのが一番、昔かな。あれは東京の天王洲の......運河を渡った先にあるグラウンドなんですけど、その北埠頭の試合で、投げてはノーヒットノーラン、打っては3打席連続でホームランを打ったことがあります。あれはホント、すごい日で......1本目がオーバーフェンス、2本目が場外、3本目がレフトにホームラン。でも、北埠頭ってすごく小っちゃい、小学生レベルの広さのグラウンドだったんですけどね。

―― その時の感触って、今、どんなふうに残っているんですか。

清宮 軟式のときは全然、打てていなかったので、やっと打てたな、という感じでした。もちろん、うれしかったです。

―― 飛ばすことに対しての快感は、いつ頃から感じていましたか。

清宮 それは野球をやり始めてからずっとじゃないですか。野球を始めてすぐ、みんなよりも遠くへ飛ばせるなって感覚があったっちゃあ、あったんですけど、でも、とくに(東京北砂)リトルに入った頃、そういうことをより感じました。

―― 子どもの頃から、自分だけはいつの間にかできていたな、という、持って生まれた才能を自分自身に感じたのはどういうところでしたか。

清宮 簡単にできたことですか? 何かな......球は速かったし、足も速かった。ラグビーではずっとバックスでしたし、当たり負けしたことはありませんでした。身体の強さは勝手に備わっていたかなと思います。あとは僕を取り巻く環境も、恵まれた才能のひとつだったのかな。ああいう家族(父はラグビーの名選手にして名監督の清宮克幸さん)がいて、小さい頃から身体の面、勉強でもサポートしてくれる人がたくさんいて、僕にいろんな引き出しを与えてくれました。それが何事にも動じない自分をつくってくれたと思っています。

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