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「ポスト浅村」西武・山野辺翔。
補欠の高校時代からプロまでの成長過程

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 ドラフト上位でプロに進むほどの選手だから、高校時代からそれ相応の片鱗を見せているものだと思ったら、名前も聞いたことがない選手がなかにはいるものだ。たとえば、昨年のドラフトならDeNA1位の上茶谷大河(京都学園→東洋大)、阪神1位の近本光司(兵庫・社→関西学院大→大阪ガス)、広島2位の島内颯太郎(福岡・光陵→九州共立大)については、高校時代に名前さえ知らなかった。

 それでも今になって聞いてみると、3人ともチームの中心選手として活躍し、その地域ではそれなりに知名度があったという。だが、昨年のドラフトでただひとり、名前を知るどころか、ギリギリでベンチ入りしていた......そんな危うい高校生活を送った選手がいる。

 それは西武から3位指名で入団した内野手の山野辺翔(やまのべ・かける/桐蔭学園→桜美林大→三菱自動車岡崎)である。

昨年の都市対抗でトヨタ自動車の補強選手として出場した山野辺翔昨年の都市対抗でトヨタ自動車の補強選手として出場した山野辺翔 山野辺のことを「いい選手だなぁ」と感心したのは、桜美林大3年の頃だ。当時は体の線も細く、まだ非力だった。140キロ台のストレートに力負けすることが多く、どん詰まりの打球も多くあった。それでも全力疾走で駆け抜けるスピードに勢いがあったから、詰まった内野ゴロがことごとくセーフになる。

 二塁手としての守備も、打球に対しての反応のよさ、フットワーク、グラブさばきが秀逸で、投手が「打ち取った......」と思う打球を確実にアウトにしてみせた。

 桜美林大が絶対的エースの佐々木千隼(現・ロッテ)を擁して、首都大学リーグを初めて制したのが2016年の秋。そのチームで「1番・セカンド」として活躍していたのが山野辺だった。

 秋のリーグ戦後に行なわれた明治神宮大会でも、リードオフマンとして毎試合長打を放ち、準優勝に大きく貢献した。

 4年になると非力さは消え、むしろ甘い内角寄りの球を強引に引っ張って、弾丸ライナーでスタンドインするシーンもあった。「こんなにいい選手が隠れているんだなぁ......」と、あらためて大学野球の奥深さを痛感させられたものだ。

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