意外すぎる「こむらがえり」。古村徹は戦力外→NPB復帰を信じ続けた (3ページ目)

  • 村瀬秀信●取材・文 text by Murase Hidenobu

「(高田GMの)『選手として使えない』という言葉は、この4年間ずっと頭に残っていました。その言葉を言われた時も『オレはできるんだ!』と返したかったですけど、その根拠となる材料がなくて。でも、打撃投手になってからも『また選手を目指したい』というモヤモヤは消えなかったんです。

 その頃から同期入団の高城(俊人)や桑原(将志)が一軍で活躍しはじめていました。一緒に食事に行くと、目を輝かせたファンや小さい子どもたちが『握手してください』と集まってくる。でも、僕のことは誰も知らない。『サインください』って言われて、『ごめんね。僕は選手じゃないんだ』と卑屈になっている自分がすごく嫌でした。打撃投手も十分に胸を張れる仕事だということは頭では理解していても、『選手でやれる』という思いを捨てられなかったんでしょうね」

 2013年から2年間、二軍投手コーチとして古村を指導していた木塚敦志(現一軍投手コーチ)は、打撃投手となった古村の心に燻る炎に気づいていた。木塚は中日ドラゴンズで打撃投手を務める西清孝を古村に紹介する。1993年に戦力外通告を受け、ベイスターズのテストを受けて"打撃投手兼任"として入団。インコースを果敢に攻める強気の投球で1996年には中継ぎとして一軍の22試合に登板。1998年のベイスターズ優勝にも貢献するなど、自分と似た境遇からNPBで結果を残した西に、古村は現役復帰へのアドバイスを受け、その思いを強くしていく。

 2015年は、試合後に打撃練習を行なう同郷の倉本寿彦の相手を連日務めるなど、打撃投手としての役割を全うし、その他の裏方の仕事もよくこなした。人柄も含めてチームから高評価を得ていた古村は、同年の秋に「来年からフロントに入らないか」と球団からオファーを受けたが、消しきれなかった自分の思いを果たすために決断する。

「現役に復帰します。肩も治ったし、3年間、25歳までに必ずNPBに戻ります」

 北方や伊藤らが参加した2015年のトライアウトで、ベイスターズのスタッフとして手伝いをしていた古村からそんな言葉を聞いた時は俄かには信じられなかった。一度戦力外になった選手が、独立リーグを経由してNPBに戻る事例もまったくないわけではないが、可能性は限りなく低い。しかし大事なことは、「野球選手としてやり切った」と思えること。「ケガさえなければ」で終わってしまった野球選手としてのケリをつけるため、完全燃焼してほしい。当時の筆者の願いはささやかなものでしかなかった。

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